「アジア映画」を見る意味を問い、批評の文脈を刷新する!
2014年01月25日
「広さ」と「深さ」をそなえたアジア映画の羅針盤
矢田部吉彦(東京国際映画祭プログラミング・ディレクター)
不思議な本である。アジア映画を巡り、ベテランや気鋭の批評家たちによる論考や対談(鼎談)で構成される骨太の内容であるのだが、初心者向けのガイドブックとしても十分に通用する機能性を備えている。広大なアジアにおける映画事情を紹介する「広さ」を持ちつつ、各地における重要な作家や事象を掘り下げる「深さ」を持つという意味で、アジア映画を旅する者には必携の地図となるのが本書である。
実際、アジアは広い。どこまでがアジアなのか定義は曖昧であるし、たとえ定義があったとしても大して意味はなかろう。一方、映画が充実している国というフィルターと通すと、アジアも少し絞れてくる。日本でも70年代から80年代にかけて早々に認知度を獲得した香港や中国や台湾やイランに加え、90年代後半からの韓国勢を経て、ゼロ年代以降間違いなく目が離せなくなったトルコ、ゼロ年代後半からのタイ、マレーシア、そして近年のインドネシアやフィリピンといった東南アジア諸国、さらにつねに超然たる存在であるインドや、それ自体がひとつのジャンルであると言っても過言ではないパレスチナといった国々を並べて行くと、おおよその地図が見えてくる。実際、評者(筆者)が関わる映画祭でも、上記の地域から応募されてくる作品が極めて多い。本書は、筆者の日々の業務の実感に沿うかのように各地域の映画が考察されているため、極めて実態に即した地図本であるとの印象を深めるのである。
一方で、本書は単なる地図にとどまっているわけでは、もちろんない。日本とアジア、世界とアジア、というふたつの座標軸を意識することで、地図を読む者に羅針盤も用意する。もっとも、「3.11後のアジア映画」という視点を本書の柱のひとつに掲げる編者の夏目深雪氏によって、我々は現在の地図を読み解く羅針盤を自分で作らねばならないことに気付かされるが…。そして、例えば近年のアジア映画のひとつのピークを作ったタイのアピチャッポン・ウィラーセタクン監督の立ち位置を今一度検証することで、アジアと世界(つまり西欧のことではあるが)との距離が測られ、作家たちの方向性が相対的に浮かび上がってくるだろう。
アピチャッポンの『ブンミおじさんの森』をひとつの典型として、近年「森」というキーワードを通じてアジア映画が語られることが多いが、多才で鋭利な執筆陣を揃え、可能な限り多様な切り口で森に迫ろうとする本書自体が、混沌たる森そのものの様相を呈しているのは、宿命である。もちろん、混沌の中に、豊潤なる歓びの源泉が湧いていることも、本書とアジア映画に共通する点であり、本書を不思議な書と呼びたくなる所以なのである。
(編集・構成:和田隆)