第6、7弾を見据えた映画――いよいよ劇場版が公開ですね。前作の第3弾(※第4弾はイベント上映)は興収1億1千万円でしたが、今回はどれぐらいを狙っていますか。
椎木 公開前なので何とでも言えるのですが(インタビューは9月6日に実施)、前作から公開規模は約2倍になり、前売券の売れ行きも好調なので、3~5億円は狙いたいなと思っています。
――毎回工夫しながら制作されていますが、今回一番変わった点はなんでしょうか。
椎木 今回はメカデザイナーに大山のぶ代さんを起用したのが新しい試みですね。
――それは斬新ですね…。大山さんは楽しんで参加されたのでしょうか。
椎木 最後まで「これでいいのかしら…」と悩まれていましたよ。姿が遠くなるくらいまで、首をかしげながら帰っていかれました(笑)。
――ほかにはありますか。
椎木 今回はプロダクトプレイスメントがシリーズ最大になります。今までは24社が最高でしたが、今回は28社に参加して頂きました。
――プロダクトプレイスメントで得られる収入はどれくらいなのですか。
椎木 僕たちにとって非常に重要な収入源で、劇場の公開を待たずして、ある程度製作費を回収できています。今回は製作に5千万円はかけているのですが、約2割はそれでリクープできています。プロダクトプレイスメントは劇場版第1弾から実施しており、いつもだいたい製作費の2割くらいを回収しています。
――今回は公開規模も最大ですが、それだけ動員が見込めるということですか。
椎木 そうですね。これも今までと大きな違いなのですが、今回の映画は次の「第6弾」「第7弾」を見据えた、飛躍のための映画として意識しており、自社ではなく東宝の映像事業部に配給をお願いしました。「鷹の爪」は、長くマナームービーとして上映してくださったTOHOシネマズに育てて頂いた気持ちが強く、それ以外の興行会社で上映するのは少し心苦しい気持ちもありました。そうすると、自社配給で上映できる館数には限りがあり、興収1~2億円から上を目指すのは難しいなという印象があったのです。
僕たちは、将来的には東宝(本体)に配給してもらい、大作並みに公開することを目指しているのですが、そのためには少なくとも興収10億円くらいは見込めるコンテンツでなければ難しいと聞いていました。ですから、TOHOシネマズ以外にも広げてくださる配給会社にお願いしようと考え、東宝の映像事業部にお願いしました
――2012年からNHKでも放送が始まりましたが、これも劇場の動員を後押ししそうですね。
椎木 これは大きいですね。それだけに、劇場宣伝が難しくもなりました。
――どういうことですか。
椎木 今までは20~40代に向けて、WEBで盛り上がる仕掛けを行えばファンに届いたのですが、NHKの放送によって、小学生や中学生まで「鷹の爪」ファンが広がったのです。そうすると、今までのようなWEBの仕掛けだけでは足りません。どうすれば小学生が劇場に足を運ぶまでプロモーションできるかが課題となり、これがなかなか難しかったですね。
――どんなプロモーションを仕掛けたのですか。
椎木 うまくいっているなと思うのは、東名高速道路のサービスエリアでグッズや看板を自社で設置したことです。あまり例がないらしく、他社との差別化は図れているかなと思います。すぐに効果が出るかわかりませんが、認知が広がり、いつかは「鷹の爪」のグッズを買ってくれるかもしれない、いつかは映画を観てくれるかもしれない。これがモチベーションの原動力になっています。あと、カルビーのポテトチップスとのコラボ、キディランド原宿店、ヴィーナスフォート店ジャック、東京駅のKスポット、東急吉祥寺での展開などがあります。
――今回はファミリーにもリーチできそうですね。
椎木 前売券の売れ行きを見ると、3割くらいは子供券が占めています。このシリーズでは考えられないほど多い割合なので、嬉しい驚きですね。
――副題の「美しきエリエール消臭プラス」はネーミングライツですか。
椎木 そうです。これまでも僕たちは大王製紙さんとお付き合いがあり、「エリエール消臭プラス」のプロモーションを僕たちがやらせてもらっています。その流れの中でネーミングライツもご採用頂きました。
――ストーリーには関係あるのですか。
椎木 すごくあります。鍵となるところでエリエール消臭プラスが大活躍するのでご注目ください。
当初はコンサル会社――次に、これまでの経緯も伺っていきたいのですが、01年に会社を設立する前、椎木さんは何をされていたのですか。
椎木 僕は91年にソニーに入社しました。そして、95年から2年半ほど支社長としてベトナムのハノイに駐在し、ハードウェアビジネスを手掛けていました。ハノイにおけるソニーの代表という立場だったので、政府との交渉や商品の企画、お客様の対応、修理、販売戦略、アフターセールス戦略など、全てをやらなければいけなかったのです。そこでハードに関するビジネスはひと通り経験したという思いがあり、次はソフトビジネスをしてみたいなと思ったのです。そして日本に戻った時、現在のアニプレックス、当時のSPE・ビジュアルワークスに配属となり、米ソニー・ピクチャーズとの橋渡し的な役割を担いました。この時にハリウッドの人脈とノウハウを身に付けることができました。
――ハリウッドのノウハウとは何でしょうか。
椎木 主に契約書に関するノウハウです。当時、日本の会社でアメリカに作品の権利許諾している人たちと話す中で、違和感を抱いていました。「契約書を作るのが大変で…」と話しても、他の人は「そうですか?」と言うわけです。よく聞くと、彼らの言う契約書は3~5枚程度のものだったのです。僕の契約書は300枚とかで、半年がかりで作成することもありました。これが実はハリウッドスタンダードだったのです。数枚の契約書だと確かにやり取りは簡単なのですが、後からトラブルになることがあります。このノウハウは僕にしかないなと考え、ソニーのためだけに使うのではなく、日本の映像業界の活性化のために使うべきじゃないかと思いました。また、かねてから独立したい考えもあったので、ソニーを退社し、01年にパサニア(現ディー・エル・イー)を立ち上げました。
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