■第二部:パネル・ディスカッション
第二部のパネル・ディスカッションでは、5名が登壇。バリアフリー映画の現状と課題、今後の方向性について、それぞれの立場から意見を述べた。
【登壇者】
大河内 直之(東京大学先端科学技術研究センター特任研究員)
松森 果林(ユニバーサルデザインコンサルタント)
古川 康(佐賀県知事)
川野 浩二(NPO法人メディア・アクセス・サポートセンター理事/事務局長)
(司会)山上 徹二郎(NPO法人メディア・アクセス・サポートセンター理事、株式会社シグロ代表、映画プロデューサー)
障害を持つ人が、実際にどのように映画を鑑賞しているのか。途中、シグロ他製作の映画「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」を使って、その体験も行われた。(1)目を閉じて音だけを聞く、(2)目を閉じた状態で、音声ガイドを聞く、(3)音のない状態で、映像を見る、(4)音のない状態のまま、字幕入りバージョンを見る、という4段階。音声ガイドや字幕がないと、ストーリーを理解するのが非常に難しいことを、参加者を身をもって知った。
盲ろうの人も映画を楽しみたい
【大河内 直之氏の発言】 映画がバリアフリー化していないと、どういうことが起きるか、実体験を紹介する。僕が10歳の時に公開された「南極物語」、非常にいい映画だけど、セリフがない。最初は高倉健さんが出てきてセリフがあるけれど、途中から犬の鳴き声と風の音だけ。皆は面白いと言っているが、どうしてこんな映画が面白いんだろうと、子どもながらに思った。この○○物語系というのは続いて、中学1年の時の「子猫物語」も厳しかった。
実は、視覚障害者も映画やドラマを楽しんでいる。それは、セリフがあるから楽しめる。セリフがあり、物語が分かり、想像力を働かせることによって、皆さんと同じように映画を見ることができる。震災後の調査で、視覚障害者を対象に、何から情報を取るかというアンケートを行ったところ、ラジオという答えは勿論多いが、テレビも多い。映像メディアの中から情報を得る視覚障害者が多いということの表れだと思う。その意味で考えると、セリフを通して映画を見たいと思っている人はたくさんいる。
バリアフリー化された映画は、封切りと同時に見られるわけではなく、だいたい1年、2年後、感覚としては吹替版の映画がテレビで放映されるようなスパンで見る感覚。今まではそうだったが、色々な方の努力で、かなり封切りと同時期に見られる環境も整ってきた。
バリアフリーかユニバーサルデザインか、同じことを言っているようで、実は違う。バリアフリーは障壁を除去すること、ユニバーサルデザインは皆で共用すること。バリアフリーからユニバーサルデザインへの流れは一般的だが、僕は両方必要だと思う。障壁を取り除くためには、障害を持っている人が変わるのではなく、その周辺の人やモノが変わらないといけない。障害を持っていて不便なのは、僕が見えない状態で生きていけるように社会の仕組みができていないから。それを変えていくためには、障壁を取り除く作業が必要だ。
バリアフリー化の取り組みは進んでいるが、ひとつ消極的な話を。バリアフリー映画は、視覚と聴覚、それぞれ単独の障害を持っている人に向けてのもの。障害が二つ重なるヘレンケラーのような人は2万人くらいいるが、この人たちは映画を見られない。では、映画に無縁かと思うと、実は盲ろう者の方でも映画を見たい人がいる。実際、シグロが「エロティック・バリアフリー」としてポルノ映画をバリアフリー化し、上映した時に、盲ろう者の方が見に来た。どうやって見たかというと、スクリーンに背中を向けて、手話通訳者の手話を触って。技術にも取り組みにも限界はあるが、全く見えなくて聞こえない人も実は映画を楽しみたいと思っていることを知ってもらえれば嬉しい。それに、我々バリアフリー映画に取り組んでいる人間は、そういうニーズも拾いあげながら、色々と解決すべき課題はあるけれども、取り組んでいく必要がある。
(大河内 直之氏のプロフィール) 東京大学先端科学技術研究センター特任研究員。1973年生まれ、東京都出身。4歳で失明し、全盲となる。盲ろう者や視覚障害者の支援技術をはじめ、障害学、福祉のまちづくりなど、バリアフリーに関する研究に従事している。近年は、副音声解説を通じた映画のバリアフリー化に関する研究・実践にも携わっている。
バリアフリーからユニバーサルデザインへ
【松森 果林氏の発言】
今回、東京国際映画祭をきっかけに、DVDだったが、日本映画を初めて見た。それは山田監督の「幸福の黄色いハンカチ」のバリアフリー版。日本映画ってこんなに面白いものなんだと驚いた。普段は、字幕のない日本映画は楽しめないので、洋画を楽しんでいる。私には小学校6年生の息子がいるが、3人家族の中で耳が聞こえないの私だけ。私は映画が大好きなので、息子と一緒に映画を見たいという夢があった。5歳になった時に初めて映画館に行き、洋画を字幕版で見た。当時、息子はまだまだ理解できない部分があったが、その後も毎回字幕付きで見ている。5歳の時からずっと字幕版を見ているので、今では本を読むのがすごく早い。
バリアフリーという言葉と、ユニバーサルデザインという言葉。バリアフリーというのは、後からバリアを取り除くこと。映画が完成してから、障害のある人でも楽しめるようにと、字幕や副音声を付けていく考え方。一方、ユニバーサルデザインというのは、最初からバリアをなくすという考え方。つまり映画を作る時に、最初から字幕も副音声も一緒に作成するから、できあがった時に皆で一緒に楽しめる。まだまだバリアフリーが必要だが、将来的にはユニバーサルデザインを目指してほしいと思う。我々の社会には色々な人が生きている。あらゆる人にとって使いやすい商品、食べ物など、社会作りをしていかなければならない。私の仕事は、そのためのアドバイスである。70歳以上の人が2千万人いるということは、映画のバリアフリーは、いずれ皆に必ず返ってくる問題。
一つ紹介したい事例がある。2007年公開の映画「バベル」で、菊地凛子さんが耳の聞こえない役をやった。他にもエキストラとして耳の聞こえない若い人が400人くらい出演している。アメリカ、メキシコ、日本など色々な国の言葉が交差して、聴覚障害やコミュニケーションがテーマになっていて、耳の聞こえない人たちの関心を集めた。そこで映画を見に行ったところ、外国語のセリフには字幕があったのに、肝心の日本語のセリフには字幕がなかった。これが日本の映画業界の現状なんだと思った。見えればOK、聞こえればOKという考え方。その後、署名運動を1ヶ月間行い4万人の署名を集め、最終的に日本語セリフに字幕が付いた形で、全国の映画館で見られるようになった。
バリアフリー映画について、求めるものが2つある。一つ目は、バリアフリー映画が当たり前になるための法整備。二つ目は、選択肢があること。バリアフリー映画は今、全国の一部の映画館でしか上映しないし、時間や期間も限られている。選択肢とは、例えば、字幕があるものとないものを作って、自分で好きな方を選んで楽しむ。選択肢があることは大切だと思う。
(松森 果林氏のプロフィール)
ユニバーサルデザインコンサルタント。小学4年から高校時代にかけて聴力を失う。筑波技術短期大学卒業。現在は聞こえる世界、聞こえない世界両方を知る立場から、ユニバーサルデザイン普及のためのアドバイス、執筆、講演を行う。誰でも手話で「ありがとう」ができる社会を目指す。著書に「星の音が聴こえますか」(筑摩書房)「誰でも手話リンガル」(明治書院)などがある。
バリアフリーさが映画祭を昨年から開始
【古川 康氏の発言】 県行政にたくさんの分野がある中で、バリアフリーを選んで、力を入れている。どこまでやってもキリがない分野だが、だからこそ遣り甲斐がある。障害がある方、高齢の方、外国人のように言葉のハンディキャップを持つ方、誰もが今いるところに住み続けられるようにしたいというのを、政策目標に掲げている。
一方で、私は映画が大好き。この六本木でも「午前十時の映画祭」をやっているが、私は以前からこうした人類共通の財産を多くの人が見る機会を増やすべきだと思っていた。映画祭がスタートした後に、佐賀市でも上映してもらいたいと東宝にお願いに行き、今は実際に1年間上映が続けられている。こういった映画と障害福祉を結びつけたものが、バリアフリー映画だった。
私は知事の仕事をしている中で、障害を持っている人が、当たり前に地域で暮らせるようになる状態を作リ出すための仕組み作りに取り組んでいる。色々なことを当たり前に楽しむことの一つとして、障害を持つ方々が映画を、時間のズレなく、作品のズレなく楽しめる環境を作っていこうと、この数年、山上さんとお話をしながら、行政の立場として色々と進めてきた。
昨年から、バリアフリー映画をまとめて上映する「バリアフリーさが映画祭」を始めた。今年(11月25~27日)は9本のバリアフリー映画を上映する。山上さんら映画の製作に直接関わりを持っている方々と一緒にやっているのが、この映画祭の特徴である。字幕や副音声をどう付けるか、難しい要素が色々あるが、そういったことを製作者サイドがOKする形で進められれば、製作者の意図と違う形でバリアフリー版が作られることはないだろう。昨年の第1回は、3日間で動員が2千人を超えた。数だけが全てではないが、多くの人がバリアフリー上映を知り、見ていただきたい。
(古川 康氏のプロフィール) 佐賀県知事。1982年東京大学法学部を卒業、同年自治省に入省。長野県企画課長、岡山県財政課長、自治大臣秘書官、長崎県総務部長などを歴任。2003年、マニフェストを掲げ佐賀県知事選に挑戦。同年4月、全国で一番若くして知事に就任した。現在3期目。2010年より「バリアフリーさが映画祭」を開催し、映画のバリアフリー化に積極的に取り組んでいる。
蒲田で1年間、バリアフリー上映実験
【川野 浩二氏の発言】 バリアフリー映画は製作本数自体が少ないが、設備面の課題もある。デジタル化の進展に伴い、日本映画の字幕版を見る機会は、今後確実に増えていく。一方、音声ガイドは、製作しても、映画館でどうやって客席に送るのかが整備されていない。音声ガイドについては映画館と一緒に取り組まないといけない。
アメリカ、イギリスでは国の後押しがしっかりあり、日本は非常に遅れている。字幕については、アメリカではリア・ウィンドウ・プロジェクターがある。これは、映画館の客席の後ろにある電光掲示板に文字が映り、その文字が、座席のカップホルダーにつけたアクリル板に表示される仕組み。現在、アメリカ国内の539スクリーンがこの方法で字幕対応し、毎年国の定めにより増えている。イギリスでも同様に、携帯端末に字幕が出てくる。
日本では我々が、昨年1年間、蒲田(蒲田宝塚、テアトル蒲田)でヘッドマウントディスプレイを試した。これを掛けると、目の前の端末に字幕を出すことができる。
今回の企画「映画の未来 バリアフリー上映を考える」は、障害者団体や行政の要望によって実施されるのではなく、映画関連6団体が自ら企画し、動いた。非常に画期的なスタートラインに立ったと私は感じる。障害者権利条約への批准など法的な動きは確かにあるが、映画業界には法的なもの、義務的なものは合わない。ヘッドマウントディスプレイのような楽しいものができてくると、未来に繋がる。例えば、ヘッドマウントディスプレイに様々な言語の字幕を流すことによって、日本へ観光に来た外国人が、日本の映画を見ることができる。声優のオーディオコメンタリーが出てきたりとか、色んなことに繋がっていく。
(川野 浩二氏のプロフィール) NPO法人メディア・アクセス・サポートセンター理事/事務局長。1963年生まれ、大分県出身。1985年パイオニア入社。現在はキュー・テックを休職中。映画やアニメの感動を視聴覚障害者にも広げる活動をNPOで行う。iPhone、ヘッドマウントディスプレイなどを使った多言語字幕表示ソフト、シンクロソフトを開発中。字幕のないDVD向けに、ネットから字幕配信を行う。
バリアフリーは映画の未来形の一つ
【山上 徹二郎氏の発言】 映画界の現状としては、聴覚障害者のための字幕はある程度見られてきているが、視覚障害者のための副音声は一般化にはまだ遠い。
ヘッドマウントディスプレイは、オリンパス、ニコン、ソニーなどが開発している。今日、別の会場で「幸せの黄色いハンカチ」バリアフリー版の上映をしており、そこでヘッドマウントディスプレイ10台を使って、実際に字幕を体験してもらっている。日本の企業が開発の分野では先陣を切っている。
私たち映画を製作する側の人間、あるいは配給、上映に関わる人間の怠慢が、現状を作っていることは否めない。私としては、障害のある方々のためにバリアフリー映画を作るというのではダメだと思う。やはり映画自体が変わらざるを得ない。映画の未来の形が、バリアフリーの映画であるかもしれない。
例えば、目の見えない方の副音声というのは、もう一つ音声トラックが手に入るという意味であり、それだけ音響の表現を立体化できるはずだと、積極的に考えていく。あるいは、耳の聞こえない方のための字幕は、表現の幅を広げる。非常に気障なセリフや深い哲学的なセリフを、役者さんが音声で伝えるだけでは、上手く自分の気持ちの中に入ってこない場合がある。洋画を字幕で見る時の良さでもあるが、深い意味の言葉や気障な言葉を、実は私たちも字幕で読むことによって、より行間を深く受け止めていくことがある。
たった110年しか経っていない映画の歴史、これが10年後、あるいは50年後にどう形を変えていくのか。非常に広々とした可能性を持った世界が、映像の前に広がっていると理解している。そういう世界に向かって、映画の未来の一つの形がバリアフリーなんだと、むしろ積極的にとらえるべきだ。
ただ、ここには大きな問題がある。バリアフリー化のための字幕や副音声は、やはり余計にお金がかかる。このお金を誰が負担するのかが、最大の問題だ。製作者か、配給会社か、劇場か、あるいは全て観客が負担すればいいのか。このことに関しては、映画業界全体が議論をしながら進めていく。そこには勿論、公的な資金も必要だし、企業の協賛も必要になってくる。そういったことも含めて、今日はあまり議論を深められなかったが、問題提起として受け取っていただきたい。
(山上 徹二郎氏のプロフィール) NPO法人メディア・アクセス・サポートセンター理事、株式会社シグロ代表、映画プロデューサー。1954年熊本県生まれ。1981年青林舎入社、映画製作を始める。1986年に独立してシグロを設立、代表となる。視覚障害者、聴覚障害者、高齢者などを対象とした「エロティック・バリアフリー・ムービー」の企画開発・製作も手掛けている。1993年「JAKUPA」では製作とともに監督を務め、「ボクの、おじさん」「ニセ札」では原案も手掛けた。
(了)
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