◎韓国映画、韓流女性ファンからの脱皮の道はあるか
久しぶりに韓国映画の激しい興行バトルが見られるかと思ったのだが、甘くはなかった。2月19日公開の「男たちの挽歌~」が、2日間で1934万円(103スクリーン)。同日公開の「戦火の中へ」が同じく2日間で、1621万円のそれぞれの興収だった(32スクリーン)。なかなか、高い数字にはならない。
「戦火の中へ」は、「男たちの挽歌」より1スクリーンのアベレージでは上になり、館数を考慮すればまずまずだが、そういう問題ではない。本作の場合、韓流ファンの女性と、朝鮮戦争を描いた中身に関心を抱いた年配者が中心の客層になっていた。しかし、そのパイが大きくは広がっていない印象があった。32スクリーンというスタートの公開館数はある程度適正だとは思う。それでも、もう少し成績が上向きにならないかなと思う。
今、韓国映画が日本の興行で一点突破できないのは、スターへの関心と中身への興味が、観客のなかで一致していない点が大きいと思う。戦争もの、アクションものなどになると、とたんにそうした傾向が強くなる。前2作品は、その範疇に入る。
韓流ブームの余韻を残す女性たちの関心は、スターに対しては相応にある。しかし、彼らが出演する作品自体には、それほどの興味を示しているとは思えない。女性ファンは好みのスターが出演しているからと言って、中身にそれほどの興味を持たないから、映画から遠ざかるケースも増えてくる。
かつてのような抜きん出た人気を誇る韓国スターがいなくなっており、ただでさえ韓流の女性ファンが減っているこの状況下、そうしたことが顕著になっていることが、韓国映画が一点突破できなくなっている一つの理由でもあろうか。
「戦火の中へ」のように、朝鮮戦争を真摯に描いた作品を見たい年配者は、日本にはもっといるのではないかと思う。しかし、どうしても今の韓国映画はスター中心の作品になり、韓流の女性ファン優先の作品になっている気がする。もちろん、その層をはずすと、興行が大変なことになるというのはわかる。しかし、もう少し、中身のインパクトで広範囲な観客を呼び込めないか。「戦火の中へ」は、その好例のように私には見えた。
ただ、こうも私は考えるのだ。韓国映画の興行が、もう一度日本である程度の安定感をもつようになるには、韓流人気が真に終わったときこそが、そのチャンスではないだろうかと。言ってみれば韓国映画は、スターの“表層”に過度におんぶしている今の状況が取っ払われて丸裸になったとき、本当の勝負が始まるのだと、私は考える。
それは、スター中心主義を排除することではない。 スター人気と中身の融合を、女性たちもしっかりと認識し、なおかつ、中身のインパクトがさらに興行のパイを広げるような興行の形である。それこそが、映画興行における韓流からの脱皮だと、私は思う。
(大高宏雄)