デビュー30周年を目前に…。記録以上に記憶に残る“歌姫・中森明菜”の衝撃!!
2010年10月28日
歌姫・中森明菜が音楽活動を無期限で停止することになった。「現役引退」まで囁かれている。とにかく、現時点では音楽活動への復帰の見通しが立たない状況のようだ。
「明菜が入院した」。
この情報を耳にしたのは10月上旬のことだった。
「大丈夫なの?」
という問いに、事務所関係者は、言葉を濁らせていた。
具体的な病名は明らかにしていない。だが、過労と疲労からくる免疫低下で、今年に入ってから仕事にも支障を来すようになっていたという。検査した担当医も「よく我慢していたものだ」と驚いたほどらしく「我慢も限界に達している。出来るだけ安静が必要」となった。
それにしても、明菜と言えば、松田聖子と並んで80年代を代表するトップ・アイドルで、今なお熱狂的なファンが多い。
逸話も多い。「生意気だ」「逆切れする」「気性が激しい」…。
僕は、明菜に何度も会ったが、そういった感じを抱いたことは全くなかった。いつも気を使うし、会うと挨拶も丁寧だった。いずれにしても聖子と明菜と言うのは、ここ最近の記録を争うアイドルとは違って「記憶に残る」存在感のある歌手だったと僕は思っている。そういった意味で、もし「現役引退」となったら、芸能界的には山口百恵以来の衝撃だと言えるかもしれない。もちろん、これは僕の価値観だが。
明菜は、「ボーカリストとしての明菜の魅力をアピールしたい」というコンセプトで、94年3月に第1弾「UTA‐HIME」を発売して以来、他アーティストのカバーにチャレンジし、ボーカリスト・明菜をアピールし続けてきた。カバー・アルバムと言ったら、徳永英明だが、そういった意味で言うなら明菜は「元祖」だろう。
第1弾となった「UTA‐HIME」では「ダンスはうまく踊れない」や「思秋期」「終着駅」など、いわゆる「昭和歌謡曲の名曲」をカバーした。この企画は成功し当時、30万枚を売り上げた。その後も、「歌姫シリーズ」としてカバー・アルバムを出し続け、その当時に発売したカバー・アルバム3部作はトータル・セールス100万枚にも達している。
そのカバー・アルバムも発売してから16年目を迎えている。そういった中「もう一度、原点に立ち返った企画を」ということになり、演歌のカバー・アルバムを始め、昨年は「ムード歌謡~歌姫昭和名曲集」を皮切りに、6月から8月にかけ3ヶ月連続でアルバム・リリースした。さらに、横浜みなとみらい「横浜BLITZ」で8月18日から9日間に亘って、全14回のライブ「AKINA NAKAMORI Special Live 2009 “Empress at Yokohama”」も行っている。彼女の音楽活動は精力的だった。
ただ、明菜は40代になった頃からか「大ホールでのコンサートは自分に合わない」と言い出し「ファンと真正面から向かい合える身近なライブをやりたい」といい続けていた。
いずれにしても、今はショックが大きい。
来年1月末には新作のアルバムを準備していたが「全て白紙に戻した」(ユニバーサル・ミュージック)と言う。
デビュー30周年を再来年に控え歌姫・明菜はデビュー以来最大の危機に陥っている。しかし、再び元気な姿で明菜が音楽活動に復帰することを祈りたい。
渡邉裕二