【大高宏雄の興行戦線異状なし Vol.51】
「一命」、いくつもの反省点が見えた
2011年10月18日
時代劇初の3D映画となった「一命」。10月15日から公開されたが、15、16日の2日間で、全国動員7万2858人・興収8702万4700円を記録した。最終10億円がかなり厳しい情勢である。いくつか理由があるが、ここでは2点ほどをピックアップしてみたい。
一つがタイトルである。「一命」。何のことか、よくわからない。単館系ではなく、全国460スクリーンの公開規模の作品として、このタイトルはどうだったのか。私は、結果論ではなく、良くなかったと思う。
当初、マスコミ発表では、小林正樹監督の「切腹」の“リメーク”と喧伝され、「切腹」とタイトルが流れていたと思う。しかし、その後、リメークではなく、「切腹」の原作である滝口康彦の「異聞浪人記」を再映画化した作品ということになった。この時点で、「切腹」というタイトルは使えなくなった。
こうした経緯に、複雑な事情が重なっただろうことはすぐに類推できる。だが私は、「切腹」のタイトルでいけばよかったとは思っていない。それが使えないなら、逆に工夫次第でより訴求力の強いタイトルを考案できるからだ。しかし、「一命」では抽象的に過ぎ、タイトルから映画のイメージがすぐには浮かばない。中身の重厚性を、さらに重く暗くしたかのような“外観”にしてしまったのが、「一命」であった気がする。
では、どういうタイトルなら良かったのか。俗っぽくなるが、この作品の場合は、やはり「武士」という言葉を使うべきではなかったか。定番ではあるが、誰もが見知っている言葉をまず使い、そこから膨らませていく。わかりやすく、しかも中身の深さも併せ持つタイトルで、人々の関心、認知を上げ、丁寧に映画を伝達する。「一命」には、それがなかったと思う。
3D映画という形は、果たして中身にふさわしかったのか。日本的な自然のありようを3D映像で表現していくやり方は、非常に興味深くは映った。しかし、映画の主要な観客層たる年配の人たちが、その映像美を見たいがために、映画に関心をもつだろうか。というより、3D映像のそうした特性は、実は映画を見るまでわからないのだ。時代劇の王道を満喫したいと考える人たちにとって、3Dは関心の外だった気がする。
映画は、素晴らしい出来栄えだったと、私は思う。その素晴らしさが、果たしてどこまで伝わったのか。いくつもの反省点が見えた。
(大高宏雄)