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人材育成キーマンに聞く!日本映画大学 佐藤忠男学長&高橋世織学部長

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人材育成キーマンに聞く!日本映画大学 佐藤忠男学長&高橋世織学部長

2010年12月17日

インタビュー1.JPG 日本映画大学が2011年4月、神奈川県川崎市に開学する。母体となるのは、1975年に故今村昌平監督が開校して以来、日本の映画・映像業界に優れた人材を多数輩出してきた専門学校日本映画学校(旧横浜放送映画専門学院)。大学化は、今村監督の夢だった。

 日本初の映画大学の誕生に、映画界を目指す若者たちの期待は膨らむばかり。果たして、新しい大学ではどんなことが学べるのか、他大学の映像コースとの違いは何か。そもそも、専門学校時代とはどこが変わってくるのか。気になる質問を、実際の教壇に立つ、佐藤忠男学長、高橋世織学部長にぶつけてみた――。




佐藤学長.JPG――まず、日本映画学校で長く教えられてきた佐藤学長にお聞きします。専門学校時代の最大の特徴は徹底的な“現場主義”でした。この方針は、大学になっても変わりませんか?

佐藤学長(以下、佐藤) もちろんです。映画やテレビの第一線で活躍する人たちが直接教えるという基本的な性格は、変えることはありません。それが、日大藝術学部や他の学校と日本映画大学との一番の違いでもあります。文部科学省にもこの方針は認めてもらえましたので、専門学校時代の主な教員に残ってもらい、教授や准教授のポジションについてもらいます。他にも、非常勤で映像業界の現場で働く人たちがたくさん教えにやってきます。

――とはいえ、大学になることで専門学校時代とは変わってくる部分が出てくるかと思います。それはどこになりますか?

佐藤 やはり学術部門、研究部門を充実させるということに尽きますね。専門学校時代には、一般教養をはじめとした学術的な授業は、あまりやっていなかったのですが、大学化を機にこれを取り入れていきます。教員に関しても、学者や研究者の方々が半数を占めることになります。

高橋学部長.JPG――では、その学者の代表として高橋学部長にお聞きします。学部長は、これまで他大学で教鞭をとってこられました。最初に日本映画大学から誘いを受けた時は驚かれたのではないですか?

高橋学部長(以下、高橋) いえそんなことはありません。むしろ教育界にとって当然の流れだなと感じましたね。私は色んな大学で教えてきましたが、ここ数年は教育の行き詰まりを感じてきました。普通の大学は、社会で役に立たない観念的なことばかりを教えていてどうしようもありません。やはり、第2の脳でもある手を使うことを教えないといけません。そういう意味で、実技も理論も同時に教える日本映画大学では理想的な教育ができるぞと思いました。もちろん、すぐに快諾しました。

――さて、実際の授業についてお聞きしていきたいと思います。教員は常勤23人、非常勤は延べ70人と、これはすごい人数ですね。

高橋 贅沢ですよね。1学年の学生の定員が140人、4年後には学生総数は560人まで増えますが、それでも学生6人につき教員1人です。私が以前教えていたマンモス大学では、学生何十人の学生に対し教師1人ですよ。この大学では学生ひとりひとりの顔と名前をちゃんと覚えます。入試では、志望者全員を面接します。

佐藤 専門学校時代は、学生が教員から直々に就職の世話をしてもらったりして、その関係が卒業してからも長く続くということがよくありました。それを受け継ぐわけで、学生と教員の距離が近いというのは、大学になってもとても重要なことなんです。

教養科目群――卒業までのカリキュラムを見せていただいて、座学の充実ぶりに驚きました。特に教養科目(左表を参照 ※クリックで拡大)はとても多彩ですね。

高橋 これはもう、一般の大学以上だと思います。それも、法学なんとか論とか経済なんとか論だとか古くさい学問ではありません。理論系の学問が増えることで、卒業生は映画制作の現場だけではなく様々分野で活躍するでしょう。専門学校時代には芥川賞作家の阿部和重も輩出しました。個人的には、冗談ではなく総理大臣を育てたいと思っています。

佐藤 今の時代の学生たちが一番好奇心を持てる学問をとりそろえましたからね。教員も、若くて先端を走っていらっしゃる方を集めましたよ。今はそういう研究者がたくさんいらっしゃるから、人選には苦労しませんでしたね。

――豊富な座学の一方で、専門学校時代と同様に学生全員が制作実習を経験するわけですね(下表を参照 ※クリックで拡大)。

高橋 そうなんです。映画制作も全員がやります。2年の後期まではコースも分けません。高3まで受験勉強していた子が、自分が何をしたいのか、いきなりは決められないわけで、理論と実習の両方をじっくりと学ぶ中で見極めてもらいたいんです。

佐藤 入学時には、みんな映画監督になりたいと入ってくるんです。でも映画といっても、実際にはいろんな仕事があるわけで、どれに向いているか、2年位色々やってみないとわからないものです。例えば、編集なんて仕事は入学時には知らなかったけれど、やってみるうちに意外と面白いななんて気づいたりするもんなんです。卒業までのカリキュラム

――1年生の必修科目「総合人間研究」が目を引きます。普通の大学では見かけません。

佐藤 これは、日本映画学校からの伝統的な授業です。10人くらいのグループごとに、興味を持っている人物や組織を決めて、手分けをして徹底的に調査して発表するんです。その時に、ムービーカメラだけは使っちゃ駄目。カメラの使い方なんて後から学べばいい、それよりもまず企画の立て方や取材の仕方を勉強するのが大切なんです。この授業、初め学生は皆きょとんとしているんですが、やっているうちに夢中になってしまいます。

高橋 その発表に教員たちが色んなコメントをするんですよね。それが、とても良い勉強になるんです。よその学校では、発表に対して教員から直接言葉をもらえるなんて機会はほとんどありません。その言葉が、どれほどの宝物になるか。こんな贅沢なことはありませんよ。

佐藤校長授業.JPG――学生の発表をめぐって教員が議論するわけですね。

佐藤 卒業制作の発表会でも同じことをやるんです。議論が白熱しすぎて、教員同士のバトルになってしまうことだってあります。でも、それで良いんです。個々の作品をめぐる議論というのがとても大切なんです。だって、映画に客観的な点数をつけるなんてことは不可能なわけですから。

高橋 もちろん、日本映画大学でも、最終的には「優」「良」「可」のような成績はつけることになります。ですが、それはあくまで最後の最後の印でしかありません。

――開学にあたって新校舎とスタジオが新設されます。どんなキャンパスになるのか、また周辺環境について教えてください。

佐藤 スタジオは、他の大学にはないシンボルになりますね。ここは都心にも近く、社会の変化を肌で感じられる一方、学校のそばには自然も豊富。映画を学ぶには最適の場所です。川崎市も“映像のまち”をアピールしていて、学校にとても好意的にしてくれています。隣には昭和音大もありますし、川崎市の中でも学校周辺は突出した文化地域です。

高橋 これからの大学は地域に根差していかなければなりません。学校と地域が相互に発展していく、そのモデルケースになりたいと思っています。新しい建物ができて、学生と地域住民が密接に交流して、もっともっと活気あふれる町になっていくのです。


校舎.jpg










卒制C班 031.jpg――最後に、日本映画大学を受験しようか迷っている若者たちの背中を押していただけますか。


佐藤 かつて今村監督が、よく言ってらっしゃった言葉を送りたいと思います。「当たり前の道を歩もうと思わない若者たちよ、ここに集まれ」。要は、偏差値システムで、どのくらいだからどこにいかないといけないとか、そういう既存のシステムに縛られたくない人間はこの大学に来なさいと。これからも、その伝統を受け継いでいきます。

高橋  「寄らば大樹の蔭」だとか「大企業が良い」とか、こんなくだらない言葉は20世紀で終わりと言いたいですね。それにこの長寿社会、30歳までは色んな可能性を探れば良い。その場所として日本映画大学というのは一番の環境です。学術も学べるし体も使える、それに人間関係も学べます。映画制作だけでなく、労働というのは複数人と一緒するものですからね。今は働くのが辛いという時代になってしまっていますが、本能的に働く喜びを学べる場がここにあります。

――どうもありがとうございました。

 日本映画大学は、2011年4月に開学。初年度の学生募集人員は140人。1月より社会人、留学生、一般入学の願書を受け付ける。各出願期間や入試日程など詳細は、公式ホームページにて(http://www.eiga.ac.jp/)  。

(了)

※記事は取材時の情報に基づいて執筆したもので、現在では異なる場合があります。


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