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インタビュー:布川郁司 一般社団法人日本動画協会理事長

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インタビュー:布川郁司 一般社団法人日本動画協会理事長

2009年11月17日

テレビ依存ではない成功モデルの実現で更なる発展へ
海賊版対策すら上回る新ビジネスモデルの実現に期待

日本のアニメは「匠」、文化面から国立アーカイブも重要



―― 一般社団法人日本動画協会(以下、AJA)さんが展開しているものでは、東京国際アニメフェア(TAF)のような、日本のアニメを世界へ情報発信するような取組も進み定番化され、JAM(ジャパン・アニメコラボ・マーケット)という国内での新たなビジネス化のチャレンジも進んでいますね。そんな今、AJA理事長就任ということで、改めてどんなことをお考えですか。

布川理事長(以下、布川)(右写真) 松谷(孝征/現・手塚プロダクション代表取締役社長)さんが3期6年理事長を務められ、その前に、東映アニメの泊(懋/現・東映アニメ取締役相談役)さんが、立ち上げの時に1年理事長を務められていますので、我々は、中間法人日本動画協会として設立してから、丸7年が経過しているわけです。そういう意味では、団体の歴史はそれほど長くはないですが、アニメーション自体は50年にわたる歴史を積み重ねてきています。AJAの前には、動画連盟としての時期もありましたし。動画連盟時代には、加盟社は10社もなかったのでは…。それが今や、AJAは60社以上の加盟社を抱える団体になっています。ただ動画連盟と違うのは、当時はアニメーションの企画制作をするというのが会員基準だったわけですが、現在の会員基準は、アニメーションを中心としてライセンスを扱う会社とか、同様にパッケージを扱う会社とか、企画を扱う会社とか、アニメーションを中心とした、制作だけではなく関連する企業などが加盟する多様な形の団体になってきています。

 TAFは今年で8回目の開催となりました。AJAが形になったのとほとんど時を同じくして立ち上がったので、ちょうど協会とTAFは、ともに歩み連動していった経緯があります。ご存じのようにその後、官から民への流れもあって、AJAがTAFの運営面を任されるようになっていますし、それだけではなく、協会の役割は年々大きくなってきています。

 東京アニメセンターもできましたし、ご存じのようにAJA事務局は、秋葉原で、アニメセンターと、TAF事務局と並んでいるわけですからね。またここ数年ではJAMも含めて、関係団体・省庁からの受託事業も大きくなり、だんだんAJAの規模も大きくなっています。60社もが加盟すると、以前の親睦のような意味合いから、産業界のためにどうふさわしい団体にしていくかを、より真剣に考える必要がある段階になっています。人もずいぶん入ってきましたし…。また協会運営としても、事業部門もある程度充実させていかなければ、これだけの所帯を維持できなくなっていると思います。

 ちょうど最近は、時代のうねりがきて、不景気の波がもろに押し寄せてきたし、この波が果たしていつ、また元に戻るのか、戻らないのか、ということが、番組を制作する側の状況からすると気になることです。
 さらに、メディアの流れが、テレビ中心の流れから、どう未来形のメディアにシフトしていくかということにも注目しています。ネットメディアも含めいろんな新しいメディアが出てきている。我々の担う部分は基本的にコンテンツ(づくり)ですから。そのコンテンツを乗せるインフラがどのように進化していくかというのは非常に大きな関心事です。

 今こうやってテレビが相対的に弱くなってきていますが、それが別の新しいインフラによってもう一度隆盛を極めるようなものになっていくかどうか、インフラによって状況はがらりと変わるかもしれないので、そこにはとても興味を持っています。
 
業界の歴史の重みとAJA

 また、自分でいうのもおかしいんですけれど、当社(㈱ぴえろ)は去年で30周年を迎えまして、30年も会社が続けば業界では老舗のはずなんですが、この業界にはもっと老舗がたくさんありまして…(笑)。東映アニメさんであり、手塚プロ、手塚プロイコール手塚治虫先生が、ここまでこの業界を押し上げてきたという一つの大きな意味合いを持っています。どうしても我々がアニメーションの歴史および業界の歴史を探るとなると、ここはひとつの要ですから、これまで泊さん、松谷さんに牽引していただいていました。それを、まあ僕みたいな(業界からすると)中間世代の人たちが、次の世代を背負うのかなというところで、今回(理事長を)やらせてもらうことになったんじゃないかと思っています。私でもお役に立てればという気持ちです。業界には、私ども(ぴえろ)の後に、IGさんをはじめ、ボンズさんとか、OLMさんとか勢いのいい会社も出てきていますし、もちろん世界を代表するジブリさんのようなところもあるわけです。そういった皆さんとアニメ界の次のステップを踏んでいくということでは、それはそれでいろんな心配な要素もありますが、ある部分躍進していくということも数多くあると思いますので。そのような人たちをどのように引っ張っていくことができるのか、リードしていくことができるのかが、私に託された部分だと思います。まだ就任して3ヶ月くらいしかたっていないので、あまり多くを言えませんが。また、在任中にすべてのことができるとも思えないですし…。精一杯頑張っていくしかないなというところです。未来を託す部分では、どうなっていけるか楽しみでもあります。

――松谷さんが3期6年、理事長を務められて、理事長から身を引くとなったら、だったら新理事長は布川さんにという声が圧倒的だったんではないですか。

布川 私は、基本的にはぴえろ社長でやってますし、もちろん業界のことも大事なことですけれども、ぴえろだって余裕があってやっているわけではないので、身の丈に合ってやっているとは思っていないんですよ(笑)。30年の歴史は積もっていてもまだまだですから。それにウチの社員からは、他の事やってる場合じゃないだろとか、会社以外のことまでできるのか、なんて声もありましたが…(笑)。それは正直な部分ではありますが、松谷さんは最初に理事長をやったのは60歳前だったと言ってらしたので、今僕が60歳過ぎてから理事長をやるとなると、時代を逆にしてるんじゃないかなんて思ったりもしますが、精一杯頑張りたいと思っています。

――そういう意味では、今後は理事長がどんどん若返っていくようになっていくことにも期待したいですね。
 
TVアニメの適正本数

――話は変わりますが、数年前、異業種からのアニメ制作参入が一気に増えましたが、その後、その動きも収斂してきたのか、最近はテレビ番組の製作本数も減っている状況にありますね。

布川 一時期テレビシリーズのアニメ番組は、週100本とかの新作を制作していたわけですが、それをピークとすれば今は70タイトルくらいでしょうか。それだけ減ったということで、何となしに産業としては下降気味なのかと捉えられるわけですが。かつては、アニメに付随するマーチャンダイジングビジネスでもピークがありましたし、パッケージでもピークがありましたし、漫画雑誌の数でも、かつては週刊少年ジャンプは700万部なんて時代もあったわけです…。

 また逆にいうと、週に100タイトル作れる環境だったのかという面からいえば、100本あったということで、粗製乱造し、安売りをしたとか、薄利多売したという結果が、ファンに飽きられたという結果につながったとも考えられます。その時代、時代で、どの程度の数が適正なのかというのはわからないですけれども、現在の70本も多いかもしれないですよね。100本も作るとなればアニメ制作会社自体もたくさん必要となったわけです。私も独立してぴえろを作ったクチですから。プロダクションって意外と簡単に作れるんですよ。ですが維持するのが大変なんです。

 昔は東映アニメさんであったり虫プロであったり、アニメプロダクションは、製作の1から10までを、人を抱えた上でやっていたわけです。それだけ人を抱えるのでコストもかかった。そこから時代の進展とともに分業へと進んでいって、人の面で独立も進んで会社数が増えました。さらに分業が進んで、今や海外に仕事を出すことも増えてきていたわけです。そんな中で、うちの会社について言えば、昨年実はある1社をうちのグループに入れたんですよ。一旦大きな核から小さな核になっていったものを、もう一度集合させたんです。離散集合を繰り返すじゃないですけれど、今はそういうことも必要なんじゃないのかなと考えています。

――分業の進展の時代から、スケールメリットのようななものを改めて考えていくべき時代になっているということですかね。

布川 今やアニメプロダクションは、昔のように作品を制作するだけでは生業には出来ない時代になっています。制作したものを柱にして、多様にビジネスを構築するっていうものにしていかないと、なかなか成り立たなくなっているんです。実際、いい作品を作り続けてもプロダクションとしては、経営的におかしくなったということもでています。これはアニメーションだけの話じゃないでしょうけれども。(いい作品を作ることはもちろん重要なことですが)日本というもの自体が疲弊してきて、モノづくりだけではうまくいかないという現実もあるわけですね。そういう現実の中に我々もありますから。アニメーションは、ある意味、「日本の巧」だと思うんですよ。今は、そのビジネス部分をどう構築するかが重要になっています。
 
東京国際アニメフェア

――日本のアニメーションは、確実に諸外国のアニメーションとは違ったものとして育っていますからね。そういう世界の中の日本という世界的観点は、TAFによって確実に浸透してきていると思います。業界としてのTAFの役割は拡大していますか。

布川 TAFを立ち上げて最初の1、2回は、ビジネスデーを設定していてもあまり使われなかったので、その設定は失敗だったかなと思ったこともあったんですよ。その頃はほとんど外国人がこなくて…(笑)。ですが最近は、たくさんの方々が来てくれるようになりました。またさらに海外からのブース出展自体ももっと増えていけば、本当の意味の国際的なフェスになると思っています。

 TAFスタート以前は、ああいった国際的な商談の場は仏・カンヌで行なわれている世界的な番組見本市「MIPTV」「MIPCOM」くらいしかなかったわけで。我々も、そこに持っていって実写のテレビ番組などと一緒にアピールするしか世界的な商談の場はなかったんです。ですがTAFができて、アニメーションだけに特化した商談スペースというものが実現し、それは世界からのニーズに応えられていると思います。また認知も高まっています。

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