昨日、ヤフーに「曲がり角に来ているジャパンカップ、国際レースとしての存在意義に陰り」という記事がアップされた。比較的長い時間、スポーツのトップページに載っていたので、読んだ方も多いのではないだろうか。今は削除されているが、「スポーツナビ」では引き続き読むことができるので、まだ読んでいない方は良かったらどうぞ。
さて、今日は「ジャパンカップの存在意義に陰り」とした同記事の「意義」を問いたい。執筆者は元競馬記者で、今も業界で幅広く活躍している人だ。なぜ、最も関係者の士気が高まり、ファンの注目が集まるジャパンカップ直前の週に、この記事を掲載したのだろうか。
はじめに断っておくと、記事の内容自体には、私は全面的に同意だ。要約すると、「世界に通用する馬作りのために始めたジャパンカップ。以前は世界の強豪馬が集まったが、近年は来日する馬のレベルが低下。日本馬も世界で活躍するようになった今、この形態のままジャパンカップを続ける意味があるのだろうか」というもの。その通りだと思う。
ただこの記事、レースの週とは全く違う時期、せめてジャパンカップ終了後の掲載ではダメだったのだろうか。内容を見ると、特に目新しい情報はない。すでに全競馬ファン・関係者の共通認識としてかなり前から目の前に横たわっている問題であり、外国馬の質の低下の原因として挙げている「ローテーションの問題」や「馬場の違い」も、以前から指摘されていることだ。競馬ファンにとっては、「うん、確かに変える必要あるよね」という感想に留まる内容であろう。
逆に、今まで競馬に興味のなかった人が読んだらどうだろうか。「へ~ジャパンカップって、今はレベルの低い外国馬しか来ないのね」というネガティブな印象しか与えないのではないか。これでは「よし、いっちょジャパンカップとやらで馬券を買ってみっか」とはならないだろう。
実は、10月にフランスで行われた凱旋門賞にオルフェーヴルとキズナが挑戦した際も、スポーツ紙の記者が「なぜ凱旋門賞ばかり目指すのか。他のレースも目を向けるべきだ」との主旨の提言記事を載せている。ネットでも、別の競馬評論家が同様のコラムを載せていたと記憶している。
その記事も、特に珍しい情報はなかった。例えば、日本の競馬界がなぜ凱旋門賞にこだわるのかについて、歴史を紐解くような記述があれば興味深かったのだが、特にそれについては触れておらず、「他のレースもあるよ」という主張だけだった。これが、やはりレースの2週間くらい前に掲載されていたのである。
執筆者の人にとっても、競馬で食べている以上、競馬が少しでも盛り上がる、ファンを増やすような記事を書いた方が自身にとってプラスなのではないか。事実である以上、提言記事自体は否定しないが、一競馬ファンとして、「ほかの時期に掲載してほしいな」と思うのである。
話をジャパンカップの記事に戻すと、確かに今回も外国馬の出走は少ないが、ほかにいくらでも魅力的な切り口はあるはずだ。同じ提言記事でも、デイリースポーツの「覚えてますか“インドのシンザン”~第1回JCの真実」という記事は面白かった。珍しいインドからの出走馬を振り返るのが主旨で、最後に少しだけジャパンカップのレベル低下について触れている。ただ、単に問題提起するのではなく、「こうしたら良いのではないか」というアイデアも記述しており、読み応えのある内容だった。少なくとも競馬ファンにとっては満足な記事だったと思う。
凱旋門賞、ジャパンカップと、レースの前に水を差すような記事が続けて掲載されたことに疑問を感じ、以上のような今日のコラムとなった。ただ、これは映画の業界紙記者の自分にも言えることであり、PCのキーボードを打ちながら、「自分も映画業界を盛り上げていかなきゃな」と改めて思った次第。本業の記事執筆はもちろん、当欄でも映画の面白いところを引き続き紹介していきたいと思っている。