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新潟で『かぐや姫』上映、西村義明氏らが熱弁

【FREE】新潟で『かぐや姫』上映、西村義明氏らが熱弁

2024年03月22日
左から高橋氏、西村氏、櫻井氏 左から高橋氏、西村氏、櫻井氏

 第2回新潟国際アニメーション映画祭開催中の17日、高畑勲監督特集の一環として『かぐや姫の物語』がシネ・ウインドで上映された。当日は高畑監督と親交のあった高橋望氏、西村義明氏(スタジオポノック代表取締役)、櫻井大樹氏(サラマンダー・ピクチャーズ代表取締役)の3氏が登壇し、高橋氏司会のもと『かぐや姫の物語』の制作にまつわる裏話が披露され、満席立ち見の場内は大盛況となった。

 制作に8年を費やしたと言われる同作。公開当時は待望の高畑監督新作として注目されたが、プロデューサーを務めた西村氏は当初「ジブリで(高畑監督の新作を制作しようという)気運が生まれたことは1回もなかった。本当にそれはきつかったです」と振り返った。週6日は高畑家に通い、世間話をしながら、高畑監督の奥さんから食事をごちそうになっていたと回想し、「10年間ぐらいは僕の昼飯と夕飯は奥さんが作ってくれたので、高畑さんの奥さんのご飯で出来上がった身体」と話して会場を笑わせた。

 時間がかかった理由として、西村氏は「高畑さんは(うちに)来てくれるなって言うんです。『映画を作りたいのは、(当時担当していた)岸本(卓)、西村、あなたたち2人だろう。私は一言も作りたいと言ってない。あなたたちが作りたいのに、私に何を話しにくるんですか』って問われるんです。岸本くんは電話する時も緊張を強いられていました(笑)」と高畑監督の心を動かすためには大変な苦労を伴うことを明かした。

 そんな高畑監督が、「やる」と明言したタイミングについても西村氏は詳しく語った。「やっぱり会社から(僕らに)プレッシャーもあるんです。何年も(映画制作が)進まない間に、自分たちの同世代は活躍していっている。そうすると焦りがつのってくるんです。ある冬、夕飯を食べたあとに、岸本くんが『高畑さんに話したいことがあります』と呼びかけました。岸本くんが何を話したのかは覚えていないですが、僕は『映画を作りたいんです』と話しました。『世界一のアニメーション作家は宮﨑駿です。でも世界一のアニメーション映画監督は高畑勲だ』と言ったんです。『僕は映画を作りたいから、高畑さん一緒にやってください』と話しました。そうしたら、(寝転んでいた)高畑さんがムクッと起き上がって、タバコを吸いながら『わかりましたよ。やりますよ』と言ったんです」。

 このエピソードには高橋氏も「これは凄い話ですよ、皆さん」と目を丸くしたが、西村氏が「でも(その日以降も)何も変わらなかった(笑)」とオチをつけて客席の爆笑を誘った。ただ、そこから制作が始まり、6年を費やして2013年11月に公開する運びとなった。

 高畑監督が信頼を置くアニメーターである田辺修氏と高畑監督の大変なやりとりなど、興味深い思い出話が次々と披露されるなか、櫻井氏も高畑監督の印象深いエピソードの1つを語った。櫻井氏はプロダクションI.Gに所属していた頃、スタジオジブリに出向していた経験があり、西村氏と気心が知れた関係だったため、『かぐや姫の物語』の企画時に参加した経緯を持つ。「(結局)使われなかったけど、一応脚本を書いたのですが、提出した2行目から(高畑監督の)目線が10分ぐらい動かない。そして『竹の節が光ってて、そこを切ったら中に姫が入ってるなんてことあるんですか?』と言われ、『どんな感じか描いてみてください』と言われたので、絵を描いてみたところ、『櫻井くんの考えているのは孟宗竹のことですね』と言われたんです。孟宗竹は薩摩藩の貿易で、琉球経由で18世紀に本土に入ってきたものだから、平安時代にはない。当時は真竹という細い竹だったので、虫みたいな人間しか入れない。何も考えてないんですか?みたいな感じになるわけです。そして、(高畑さんが)8万冊の蔵書の中からたくさん竹の本を持ってきて…。それで(劇中で描いたのは)タケノコになっているんです」と、高畑監督の作品への取り組み方を明かし、「ここまで考え抜いているんだと、それ以後の脚本作りの素地になりました。思いついたことを表現するのがクリエイターではない、むしろ徹底的に考え抜かないとならないんだ」と自身の作品作りにも影響していることを語った。

 当初は宮﨑駿監督の『風立ちぬ』と同じ2013年夏に同時公開と発表していた『かぐや姫の物語』だが、最終的に数か月間公開を遅らせることとなった。西村氏は「(同時公開発表は)鈴木(敏夫)さんの賭けでした。(制作を)ずっとやっていると、『もうやめたい』『いつになったら出来上がるのか』と、人が抜けていって現場が崩壊しかけるんですよ。現場を維持しないと、高畑さんのモチベーションも維持できなかったんです。でも(公開日を発表することで)現場は活気づくんです。『あ、もうすぐ終わるんだ』と。高畑さんは『出来上がるわけないでしょ。何やってるんですか』と言っていました」と、公開日に関する駆け引きについても振り返った。

 高橋氏は「僕も経験があるからはっきり申し上げたいが、高畑作品は作るのが大変。企画も制作も公開も全部大変。それをやり遂げるのは尋常じゃない」と、高畑監督と向き合うことにはただならぬ労力を要することを強調する一方、櫻井氏は「高畑さんに接した人は、好きにならざるを得ない。恐いしイヤだなと思う瞬間もあるけど、その引力圏、磁場を自覚せざるを得ない。そういう影響下にある人はけっこういて、片渕(須直)さんや百瀬(義行)さんもそうだと思うし、宮﨑さんももちろん深くそうだと思う。あの魂は、西村くんのポノックも引き継ごうとしてやっていることを感じるし、僕がサラマンダー・ピクチャーズを立ち上げたのはその思いがある」とコメント。西村氏も「高畑さんのような人が作った作品は、(時代に)埋まっていても絶対に掘り起こされる。『かぐや姫の物語』が完成したあと、鈴木さんと2人でいる時に、鈴木さんがボソッと『100年後に評価されるのは高畑勲だろうな』と。その理由は聞かなかったですが、僕の解釈では、時代とともにある宮崎さんの作品と、(高畑さんの)普遍的人間性を持った企画の違いなのかなと思う。『火垂るの墓』は絶対に残っていくし、ある映画人の人生をずっと変え続けている」と、師である高畑監督への愛のこもった言葉を並べた。

※記事は取材時の情報に基づいて執筆したもので、現在では異なる場合があります。