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元宝塚・星組トップスターの湖月わたるが20年間歌い続けるAI「Story」~退団を意識した時に歌詞と

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元宝塚・星組トップスターの湖月わたるが20年間歌い続けるAI「Story」~退団を意識した時に歌詞と自身の気持ちが重なった…

2026年09月04日

元宝塚・星組トップスターの湖月わたるが20年間歌い続けるAI「Story」〜退団を意識した時に歌詞と自身の気持ちが重なった…

元宝塚歌劇団星組トップスターの湖月わたる(55)が、BS日テレで9月5日(土)と12日(土)に前後編で放送されるトーク番組「森田健作アワー 人生ケンサク窓」(土曜・前9時~9時30分)に出演する。ゲストと共に人生を振り返りながら、今を生き抜くヒントを“ケンサク”していく異色の番組だ。湖月は宝塚を目指した少女時代から音楽学校受験、トップスター時代、そして退団後、ブロードウェイミュージカル「シカゴ」来日公演に唯一の日本人女性として出演したことなども含め現在までを振り返る。

収録は東京・新橋の日本テレビSKYスタジオで行われた。湖月と対面した森田は、開口一番「やっぱりオーラがありますね」と感嘆。その上で「その昔、松竹の撮影所の近くに宝塚音楽学校があって、撮影所の食堂にいると、スラッとした背の高い女性が来るんですよ。とにかく礼儀正しかった」と当時を回想した。森田自身、宝塚の舞台を過去4回観劇しているといい「今回は改めてタカラジェンヌの苦楽について聞きたい」と興味津々だった。

湖月が宝塚歌劇団に憧れたのは小学4年生の時だったという。入間市の出身だったが、地元のテレビ埼玉で早朝に放送されていた宝塚の舞台を目にしたことがきっかけだったそうだ。「友よこの胸に熱き涙を」を観た途端に「心を鷲掴みにされた思いで。一気に宝塚に夢中になりました」。

小学5年の夏休みに東京宝塚劇場で麻実れい主演の「ジャワの踊り子」を観劇。「将来、私も必ずこの舞台に立つ」と心に誓ったという。

それからはバレエに打ち込みながら宝塚の舞台やテレビ放送を見る日々となった。宝塚音楽学校受験では、当日のくじ引きで1次試験の受験番号が「1番」。面接とバレエ、新曲歌唱に臨み、「オー・ソレ・ミオ」を歌った。周囲の受験生に圧倒され、「自分のことより『みんなすごいな』という記憶しかない」と振り返る。さらに2次試験でも、くじで引いた番号は「1番」。面接では周囲がかわいらしいワンピース姿だった中、自分だけ制服だったというエピソードも明かした。

「落ちたらどうするか」との問いには、高校に3年間通い、それでも気持ちが変わらなければ再び受験すると決めていたという。「受けないという選択肢はなかった」。一方で高校受験では私立にすべて不合格。2人の兄につきっきりで勉強を教えてもらい、県立高校に「ギリギリで受かった」とも。

そんな湖月が「人生を支えた1曲」として挙げたのが、AIの「Story」だった。

宝塚退団を意識し始めた時期に、「Story」の歌詞と自身の気持ちが重なった。
限られた時間の中でファンのために何ができるのかを考え、退団前のリサイタルでも歌唱した。「ファンの皆様と共有できた」と語る思い出深い1曲だそうで、現在も歌い続けている。

また、今年11月には、宝塚歌劇団退団20周年記念公演『TUMBLEWEED(タンブルウィード)』を開催することも明かした。

タイトルの「TUMBLEWEED=風に吹かれて身を任せる人生」に込めた思いは、これからの人生観そのものでもある。明確に「ここへ向かう」と決めるより、「気づけばここにいた」という生き方をしたいという。

「割と自分自身を信用しない性格」と苦笑いするが、未来については前向きだ。「これからの人生がどうなっていくのか、どんな夢に出会えるのかが楽しみ」。

小学4年生で心を奪われた宝塚という夢を現実にし、トップスターとして大舞台に立った湖月。退団から20年という節目を迎えても、次の行き先を決めつけることはない。風に身を任せながら新しい夢との出会いを待つ――。それが、湖月わたるが選んだ「これからの人生」の歩き方のようだ。
(渡邉裕二)

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