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トップインタビュー:早河 洋 (株)テレビ朝日代表取締役社長

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トップインタビュー:早河 洋 (株)テレビ朝日代表取締役社長

2009年09月28日

コンテンツビジネスで生き残る

 改革断行宣言~前年度赤字から脱却決意
 2位狙える3位、ドラスティックに施策


 


 テレビ朝日の社長に早河洋副社長が6月25日昇任し、同社初のプロパーの社長が誕生、新スタートを切った。だが、前年度は景気悪化で開局以来初の赤字決算(連結純損失17億16百万円)となり、厳しい中での船出となった。そのため大幅な経費削減と、放送外事業で収益拡大を図る「改革断行」を今期から2年間施策する。早河洋社長に今後の取り組みと展望を聞いた――。




スピーディーに改革断行

 ―― テレビ朝日50年の歴史で初めて生え抜きの社長として就任した。今後の抱負を。

早河 “100年に1度”と云われる不況にあって、08年度決算は当社初めての赤字となった。大変厳しい状況での就任となり、光栄な気持ちと同時に大変な緊張を感じている。2011年完全デジタル移行という歴史的転換に向かう中、この危機的状況を克服するため、今年2月に宣言した「改革断行」の計画を、今年度から2年間で、ダイナミックにスピーディーに実現していくことしかない。構造的に広告費の低減傾向があったところに、不況が襲い掛かるというダブルパンチを受けている。不況から仮に立ち直っても、広告費の横ばい、あるいは微減が継続していくわけで、本業である視聴率第一主義を捨てずにコンテンツビジネスに注力していく。開局50周年記念の展開ではドラマSP、スポーツ中継など視聴率でいい結果が出た。イベントも成果を上げることが出来た。この制作力をベースに本業の収益を上げながら、今年6月の組織改革で設置した「コンテンツビジネス局」によるマルチユース展開で放送外収入を上げていく。
そのためにも会社が一つにならなければならない。テレビ朝日本体は関連会社等への出向を除けば実動1千人規模だが、大会社病になってはいけない。社員に対しては、現場も事務部門も互いに敬意を持った土壌を作ろうと言った。山積する課題をクリアすべく、全社一丸で邁進していく。


02年から上昇の礎築く

 ―― テレビ朝日は02年からの全社変革推進運動を機に一丸となって、視聴率含め媒体力を飛躍的に高めた。早河社長はそれを主導してきた。その礎をもって今後の施策にあたるという意味で、あらためて振り返ってみると。

早河 全社変革推進運動は、その前の年、01年に福岡で開かれた世界水泳の放映権を獲得したのがきっかけだった。放送権獲得を推進したのは営業だった。そして、どう展開するかという時に、編成やスポーツなど各セクションの40代前半の中堅たちがある計画を作った。その計画は『全社横断型のプロジェクトで、プロデュース本部を立ち上げたい』という。ならば、思い切ってやってみなさいということでスタートした。だから編成やスポーツという現局だけじゃなく、営業はもちろん、総務、経理の事務系も仕事の合間を縫って皆が参加して取り組んだ。それと電通の若手の方がプロデュース本部に実質的に入った形で協力を頂いた。そういう連携が出来た中で、世界水泳を盛り上げた。開催された福岡の会場演出から、広告セールス、放送に至るまで、皆が本当に喜々として精力的に動いた。最初はそんなに視聴率はよくなかったけれども、徐々に高い数字を出すようになって、営業的にも成果を上げ、ものすごく達成感を得た。これが上昇のきっかけになった。
当時、視聴率は万年4位。ゴールデン帯は2桁を切っていて、このままではテレビ朝日はダメになるのではという危機感を持っていた。改革しなければいけないという強い思いが世界水泳の一体感につながったと思う。
そうして、02年6月から全社変革推進運動が始まった。編成ビジョンを作成し、様々なプランを計画的に段階的に進めていった。常務会でも、局長会でもこれにあたり、世界水泳での一体感を大事にして、07年3月まで4年10ヵ月にわたって取り組み、様々な成果を上げることが出来た。スポーツで言えば、世界水泳のほかに、AFCのサッカー、ワールドカップサッカーアジア最終予選、ワールドカップサッカー、フィギュアスケートなどの放送権を獲得していって、高い数字を叩き出した。通常のレギュラー番組の数字も上昇し、加えて、時々そうした爆発力のあるスポーツや単発ドラマが上手く組み合わさって、「テレ朝は元気だな」と言われるようになった。
2000年までは編成局と制作局が別れていて、互いにぶつかり合って連携が上手くいかず、番組の責任を持つ2つの局の関係がよくなかった。それで「編成制作局」として一緒にしたところ、全社変革推進運動がスタートして1年ぐらい経った頃から一体感が出るようになったのが良かった。
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