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ギャガ 依田巽会長 百武弘二社長 創立30周年記念インタビュー

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ギャガ 依田巽会長 百武弘二社長 創立30周年記念インタビュー

2016年09月21日

依田巽氏(右)、百武弘二氏(左).jpg


 ギャガは2016年4月、新社長として元ショウゲート社長の百武弘二氏の就任を発表。7月末にはハウステンボス、クリーク・アンド・リバー社を引受先とする第三者割当増資を実施し、創立30周年の節目に新たな一歩を踏み出した。

 ビデオ市場が拡大を続けていた1986年に、映画の版権の取得・販売会社として誕生したギャガ。その後は劇場配給に参入し、『マスク』『セブン』『グリーンマイル』『オペラ座の怪人』などを大ヒットさせ、配給会社としての地位を確立してきた。一方で、これまでに2度の経営危機に陥り、経営母体を変えながら今にいたっている。

 現会長CEOの依田巽氏が指揮を執るようになったのは2009年7月から。近年は、配給作品の『スラムドッグ$ミリオネア』、『英国王のスピーチ』、『アーティスト』、『それでも夜は明ける』が立て続けにアカデミー賞作品賞を受賞した。また、『最強のふたり』や『セッション』のようなサプライズヒットも毎年のように繰り出し、年々“ギャガ”のブランド力を高めている。

 今回の社長人事、増資は、次世代に向けて事業の拡大を図るための重要な足場固めとなる。その意図や創立30周年、今後参入する新たなビジネス分野について、依田巽代表取締役会長CEO(=写真右)、百武弘二代表取締役社長COO(=写真左)に聞いた――。



バトンタッチできる人財

――まずは百武新社長についてお聞きします。元ショウゲート社長の百武さんがギャガに入社されたのは昨年の9月1日でした。そして今年の4月1日付で社長COOに就任し、依田さんは会長CEOに就きました。依田さんは、いつ頃から百武さんに打診されたのでしょうか。そもそも、お2人は、最初はどのような形で知り合ったのでしょう。

依田 6年前から、業界の会合などで一緒になり、カジュアルに仕事の話をする中で、お互いのことを理解していたので、昨年の春、役職定年でショウゲートの代表を退くと決まった段階で、「ギャガにどうですか?」と私から打診しました。

――百武さんのどういうところに魅力を感じていますか。

依田 人間性であり、実績であり、彼の今までのビジネスの仕方を見ていて、安定した企業経営に適した才能と特性を持っていると感じました。私の場合はトップダウンでガリガリやる方ですから(笑)、そういう意味では良いペアが組めるのではないかなと思っています。

――百武さんは、その話があった時はいかがでしたか。

百武 青天の霹靂ですよ。1980年4月に博報堂に入り、29年間は広告の営業畑でした。2009年の4月にエンターテインメント事業局長をやれと言われ、そこからエンタメ事業と、映画業界に関わりを持つようになり、その時は「50歳を過ぎたオヤジにそんな新しいことやらせるなよ!」という気持ちが強かったのですが(笑)、それから1年後にショウゲートの再建を託されました。博報堂DYメディアパートナーズが東芝エンタテインメントを買収し、ショウゲートに社名を変更したのですが、当初から大赤字の会社で、再建に向けて色々やり始めました。
 その過程で、依田会長とは外配協やJVAの理事会などでお会いして…いつもだいたい隣の席だったんですよ(笑)。そこでお互いの映画の情報や興行の具合をお話しする機会がありました。ショウゲートの社員がギャガに移る時は、礼節をわきまえて会長が「申し訳ない」とおっしゃる。筋の通った人だなと。一方で、ギャガは当時のショウゲートにとって目標でした。この会社に追いついて、追い越したいという想いがあったので、非常に興味深かったのです。その会社のトップの方から、「一緒にやらないか」と声を掛けて頂き、誇りに思いましたし、またエンタメ事業に戻して頂けるということで、救ってくれた気持ちが強いのです。一も二もなくお受けしました。

――ショウゲートから博報堂に帰任(2015年4月)される時は、映画とは全く別の仕事になったのですか。

百武 広告に戻るように指示されていました。広告業界のコミッション(手数料)ビジネスが非常に厳しくなっている。それを打開するために、広告のビジネスと、コンテンツビジネス、さらに今後ますます進化するデジタルやグローバルビジネスを融合させて新しいビジネスを作れというのが私に課せられたミッションでした。机上で設計するのは簡単ですが、何しろ実行できる人間がいるのかどうかがポイントになります。コンテンツのビジネスは、ギャガもショウゲートもその他の会社もそうですが、日銭を稼ぐ商売です。それも100円や10円単位です。一方、広告業は100万、1千万円単位の金が動くところにいて、そういった日銭や細かな単位のお金を稼ぐ意識は薄いのです。社内で異なる方向を向く人材同士が協働して、新しいビジネスを創ることは相当に難しいというのが自分の心境でした。
 そんな状況下、会長から「この会社(ギャガ)を『依田商店』から自立させるために、一緒にやってくれ」と言われ、すごく意気に感じました。同じ意識を共有できて、しかも私にとっては伝説の経営者ですから。その人と仕事ができるのは光栄なことでした。

――依田さんは今年3月に開催したラインナップ発表の場で、百武さんを「私の右腕」と評していましたが、当初からいずれ社長にという考えだったのですか。

依田 もちろん。さきほどの「百武のどこに魅力を感じたのか?」ということですが、現ショウゲートが、アミューズ(アミューズビデオ、アミューズ・ピクチャーズ)から東芝(東芝エンタテインメント)、そして博報堂に移って、積極的なビジネス展開をされていたものの、赤字体質でした。それを、アニメや商品化事業といった新しいビジネスモデルを取り込んで、会社を立て直した。「企業経営に適した才能と特性を持っている」というのはそういうことです。
 いずれにしても、会社が進化し続けるために、いつまでも「依田商店」ではいけないなと思っています。属人性の高いビジネスですから、経営が厳しい時は、強いリーダーシップが必要な時もありますが、バランスがとれた形で、次の世代につなげていきたいと思っています。「右腕」というより、バトンタッチできる人だと思っています。

――2011年に当社でインタビューさせてもらった際(2011年6月号)は、こちらからバトンタッチについて伺ったところ、「まだ現役でいたいですから」と後継の方については話されませんでした。

依田 今だってリタイアするつもりはないですよ。回遊魚のマグロみたいなもので、動き回っていないと死んでしまいますから(笑)。でも、きちんと社長をやってもらえる人に、時期を選んでバトンタッチしていかなければと思います。それは私がどう考えようと、周りの人もそう期待するでしょうし。

続きは、文化通信ジャーナル2016年9月号に掲載。


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