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81プロデュース 南沢道義代表取締役社長 「声優ビジネスの拡大、起業時から当然だろうと考えていた」

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81プロデュース 南沢道義代表取締役社長 「声優ビジネスの拡大、起業時から当然だろうと考えていた」

2016年07月28日

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 今やエンターテインメントコンテンツにおいて、重要な人気要素となっている“声優”。

 アニメやゲームなどのキャラクターボイス、テレビ番組のナレーション、外国映画吹き替えなどの本業での活躍のみならず、音楽業界においても重要なプレイヤーとなっており、さらにはマルチな才能を発揮して、俳優・タレント・歌手たちに負けず劣らずの人気を誇る“声優”も多数登場している状況だ。そんな“声優”に40年以上にわたって携わり続けている業界の重鎮が、大手声優プロダクション、(株)81(エイティワン)プロデュース代表取締役社長の南沢道義氏(=写真)だ。

 南沢氏は、青二プロでそのキャリアをスタートさせた。その後、ぷろだくしょんバオバブの中から企画制作部門が独立する形で、81年に南沢氏が起業したのが81プロデュースだ。いわゆる“第2次声優ブーム”の真っ只中で起業し、声優関連のビジネスが様々な形で拡大していった流れの中で、81プロデュースもまた、新たな道を切り開いてビジネスを発展・拡大させてきたと言えるだろう。

 81プロデュースは、声優プロダクションとして数多くの所属声優のマネジメントを行うのみならず、その周辺ビジネスにおいても様々な役割を果たしながら、声優の活躍の場を広げてきた実績がある。例えば、当時レコード業界で声優が歌うレコードは児童向けの学芸部で扱われていたが、それを一アーティストとして一般レーベルでオリジナルのLPを制作するという初めて取り組みを実現させたほか、創業直後の82年には、舞台と声優を結びつけることを目指して、自主公演ミュージカル「飛べ!京浜ドラキュラ」等の制作を行った。

 一方で、NHK教育の子ども向け番組の制作にも様々な形で携わってきている。また同様の考え方から、声優が活躍しているメインフィールドの“音声収録・音声制作”において不可欠な存在である技術者を、自ら抱えて育成していくことにも取り組み、それは関連会社「HALF H・P STUDIO」として今や映像業界にとってなくてはならない音響音声制作会社へと成長している。

 アニメ「ポケットモンスター」の音響音声制作をはじめ、既に数多くの音声制作を手掛けてきており、その技術力の高さで定評を得るに至っている。さらには、未来の人気声優を生み出す重要な教育機関となる「81ACTOR’S STUDIO」の展開にも本腰を入れて取り組んでおり、新たな才能発掘のためのオーディション(81オーディション、また関連団体で主催する声優魂など)も定期開催している状況だ。

 昨今で言えば、声優アイドルグループとして活動し大人気となっている「i☆Ris」や「Wake Up,Girls!」も、81プロデュースとエイベックス・グループが共同で手掛けている取り組みだ。さらに、声優に対する国内外からの注目の高まりに対応して、昨年には、世界初の“声優”常設展示施設「声優ミュージアム」と、声優によるパフォーマンス・公演を定期的に提供していく「81ライブサロン」を開設するなど、まさにその活動の幅を広げている。

 その81プロデュースは今年創立35周年という大きな節目を迎えており、更なる新たな取り組みにも積極的に取り組んでいくという。そこで南沢氏に、81プロデュースのこれまでの35年の歩みを振り返ってもらいつつ、今後の展望などについて聞いた――。


声の芝居の専門家

──81プロデュースを起業した頃の声優業界はどのような感じだったのですか?

南沢道義社長(以下南沢) 40年前の頃は、舞台俳優の先輩方がたくさんおられて、外画やアニメの主役を務められていました。次第に俳優と声優の仕事を両立することはスケジュール的に難しくなってきたので、声のスペシャリストが求められ、声の芝居の専門家として“声優”という職業は出来上がってきました。当時、声優事務所は数社くらいしかなかったのですが、外国映画の吹替えなど、仕事が増えていく流れでしたね。

──そんな時代に81プロデュースを起業するに至ったということは、昨今のような声優人気の拡大を見通すような、先見の明をお持ちだったのではないですか?

南沢 それは逆に、(現在のような声優ビジネスの広がりは)当然だろうと当時から考えていました。なぜかというと、芝居が好きなキャスト(声優)がいて、それをマネジメント・プロデュースする我々がいて、そこにいろんな媒体が絡んでいけば、1+1が2ではなく、3にも4にもなると考えていましたし、実際にそうやって来たのです。起業当時から、この人たちならこの企画がよいなどと、様々なアイデアがありました。採算のみを考えれば実行できない仕事もたくさんあったのですが、舞台を作ったり、マルチタレントとしてメジャーデビューしたり、それまでの声優の仕事からすれば新たなことに、次々と取り組みました。

──当時28歳という若さで、81プロデュースを設立されたわけですが、その前にはどのようなことをされていたのですか?

南沢 元々私は、青二プロダクションでこの仕事を始めました。私が入った頃はまだ静かな業界で、外国映画やアニメ等の仕事をメインに担当していました。当時の青二プロはキャストが30人くらいだったのではないでしょうか。それくらいの規模の会社が数社という時代だったと思います。その頃は、この役のイメージは、例えば(「マジンガーZ」兜甲児役やジャッキー・チェンの吹き替えで知られる)石丸博也さんだとなると、似た様なキャラクターは全部石丸さんが担当していました。他にも、井上真樹夫、富山敬さん、神谷明さんらがいて、ヒーローものでも(イメージ的な)ポジションがありました。また、脇を固める方々でも、肝付兼太さんや大竹宏さんなどの名脇役が、そして男の子のインパクトのある声だと、野沢雅子さん、山本圭子さんらが活躍されていました。さらに外国映画では、先日残念ながらお亡くなりになった大平透さん、城達也さんや山田康雄さん、納屋悟朗さんなど素晴らしい方々がメジャー作品の声を担当していました。アニメ制作本数が増え、個性あふれる作品の登場と共に、水島裕さんや井上和彦さん、三ツ矢雄二さんといった次の世代を担う声優が当時脚光を浴び始めていて、その様な状況のもとで、マネジメント業に日々明け暮れていました。


続きは、文化通信ジャーナル2016年7月号に掲載。

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