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『フローレンスは眠る』小林兄弟監督

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『フローレンスは眠る』小林兄弟監督

2016年03月07日

『フローレンスは眠る』.jpg



 小林克人、健二の兄弟監督によるインディペンデント映画『フローレンスは眠る』が3月5日より公開された。初のドリパスチャレンジ成功を果し、メイン館はTOHOシネマズ日劇と決定した。チャレンジ内容は400人以上のチケット予約、これを見事クリアした。なお前作『369のメトシエラ~奇跡の扉~』は、ぴあ調査「初日映画満足度ランキング」第1位に輝いている。ファンから強く支持される小林兄弟監督。彼らの経歴とは果たして――。






ハリウッド映画、黒澤映画と出会い映画の道へ


小林兄弟②.jpg――今作は長編第2作ですね。ダイヤ「フローレンスの涙」を巡るクライムサスペンス映画で、同族経営の老舗企業に襲い掛かった誘拐事件を発端に、現代社会の闇へと迫ります。また長編第1作『369~』では400年間、男を待ち続ける老婆をモチーフにして、独居高齢者などの社会派テーマへと切りこみました。両作ともに設定の土台をしっかりと築いた上で大きなテーマに向けて物語を動かしていきます。設定の着想をどこから得ていますか。

小林克人(=写真左) 高校生の時分、『日ノ影村の一族』『ヤヌスの首』など五木寛之の小説に大ハマりしました。彼の描く小説世界は、本当か嘘か分からない様な設定で物語が展開していくので、ページを捲る指が止まらなかったことを覚えています。彼から影響を受けた部分は非常に大きいですね。

小林健二(=写真右) 僕も五木寛之の小説に影響を受けています。と言うよりも、兄から「これ読んでみろよ」と勧められて読んでいましたので、兄の影響とも言えます。モノの貸し借りを兄との間で幼い時分から頻繁に行ってきました。そうでなくとも、当時は音楽でも小説でも、本棚から勝手に漁っていました。兄にはよく映画館にも連れていって貰いましたね。

――兄弟監督ならではの共通体験ですね。どんな映画を観て、育ってこられたのでしょうか。

小林克人 やはり僕らの世代と言えば、ハリウッド映画です。「スター・ウォーズ」シリーズや「ゴッドファーザー」シリーズ、スピルバーグ作品がとびきり盛り上がった時代でした。『スター・ウォーズ』(エピソード4)が封切られた時は、20回以上映画館に行きました。あの頃はそれほど熱狂していました。

小林健二 僕も兄も、当時のハリウッド映画には、インスパイアを受けています。今でもハリウッドに憧れる部分は多くて、向こうには業界内に知人がいて、よく話を聞きますが、何より世界中から映画人が集まるから、コミュニティが作りやすい環境らしいですね。日本で映画を撮っている身として、非常に羨ましく思います。

小林克人 邦画で言えば、何と言っても黒澤明です。特に『七人の侍』は、僕らが映画制作に本気になったキッカケの一本です。

小林健二 『七人の侍』との出会いは今でも覚えています。僕が20代前半の頃、新宿武蔵野館でリバイバル上映されていたんですね。ハリウッド映画ばかり観ていた僕は、「邦画にもこんなに面白い映画があるのか」と衝撃を受けました。その後、「兄ちゃん、すごい映画があるから観に行ってよ」と急いで伝えました(笑)。

小林克人 で、観たら、迫力満点で大変な映画な訳ですよ(笑)。

――お二人で影響し合ってきて、映画を作るという同じ夢を抱かれたということですね。そのキッカケが『七人の侍』だったと。『七人の侍』に出会った頃、別々の仕事をされていたのでしょうか。

小林克人 友人とテレビ制作会社を立ち上げて、ドキュメンタリーや音楽、バラエティの番組を作っていました。ドラマを撮ったこともないし、いまだに映画の現場で働いたことがありません。つまりスタッフや助監督の経験がないわけです。健二もそうですが、映画は独学です。作品を片っ端から観たり、関連本を読んだりですね。

小林健二 役者の研修生として劇団に所属していました。そのほかいくつかのアルバイトを掛け持ちしていて、そのうちの一つで女優・岩下志麻さんの運転手をやっていました。

 僕は『七人の侍』に出会った後、役者ではなくスタッフとして、映画制作の道に飛び込みたいと熱望していたので、岩下さんに、「映画撮りたいんですよね」と相談しました。岩下さんは、夫・篠田正浩監督の『写楽』(95年公開)に制作進行役として僕をねじ込んで下さった。これが初めてスタッフとして経験した映画の現場です。

 ところがある日、その現場で、「黒澤フィルムスタジオ」と書かれた照明機材を目にするんですね。黒澤映画に憧れて飛び込んだ現場でしたから、運命の出会いの様に思えました。「黒澤組のスタッフがいる」と思いこんだんです(笑)。

小林克人 (笑)。


映画製作/配給会社「Jungle Walk」設立まで


小林健二.jpg小林健二 とにかく僕はこういう熱情型の性格な訳ですよ(笑)。

 当時は『八月の狂詩曲』(91年公開)が撮り終わった頃でした。現場の最中に、「次は何を撮るんですか、次は何を撮るんですか」と黒澤スタジオのスタッフに聞いたりして取り入って、仲良くなっていったんですね。

 『写楽』がアップした後、スタジオまでお邪魔できたんです。で、さらに仲良くなっていき、ある日、スタッフから、「2日間、スタジオが空いているから、何か撮ろうよ」と言われました。舞いあがった僕はすぐに兄に「映画が撮れる!」と話したんです。

小林克人 それが初めての映画制作です。僕が脚本を書いて、健二が演出面を担いました。共同名義で監督しました。

小林健二 でも、始めたはいいものの、話が大きくなり過ぎました。僕らは映画のことが何も分かってなくて、「フィルムってどこで買うんだ?いくらするんだ?」という状態、現場ではカメラが小さいのに、送風機を始めとする周りの機材は大掛かり。そんな得体の知れない組が、スタジオを抑えているから問題になったんですね。

小林克人 「小林っていったい誰なんだ」って(笑)。

小林健二 「こいつら社員じゃないだろ」って(笑)。

 そんな中、スタジオの偉い方がいらっしゃって、「ここまで用意したんだから、やっていい」とおっしゃって下さり、何とか撮影できました。

 その後も様々な問題がありました。フィルムを現像するために、あんなにお金がかかると思っていなかったですね。現像所のおじさんに、「君みたいな子は沢山いるんだよ」「映画を何も分かってない」「君はただの小林健二でしょ?一個人でしょ?お金払えるの?」と怒られました。でも、人を巻き込んだり、想いを込めて作った映画だったから、絶対に完成させたかったんですね。食い下がらないで必死に頼み込んで現像して貰いました。そういうことがありながら、なんとか現像まで終えて完成させました。そして、大きな借金を抱えてしまったんです。

――どの様にして返済されたのでしょうか。

小林克人 この返済までの道程は、「㈱JungleWalk」設立に深く関係しています。


※㈱JungleWalk【ジャングルウォーク】

 04年設立の映画製作/配給会社。取締役として小林克人、代表取締役社長として小林健二が所属。小林兄弟監督作『369のメトシエラ~奇跡の扉~』『フローレンスは眠る』を手掛ける。ハリウッド資本による映画製作実現を方針に掲げ、既存の日本映画ビジネスの枠を飛び越える映画を生み出す試みを行っている。08年には米国法人を設立。小林兄弟は両国を行き来しながら、製作を続けている。


小林健二
先ほど触れた幾つかのバイトの中で電気通信業の仕事をしていました。率が良かったので、借金返済のために他の仕事を全部やめて、これ一本にしました。昼夜問わずめちゃくちゃ仕事しました。自分で仕事をとってきて、人に教えたりなんかして、個人事業主として働き、信用をひとつずつ作っていきました。そうやっているうちに、借金を全額返済でき、その後、貯金までできました。その貯金で、個人事業だった会社を、株式会社「オズマプロデュース」にしました。

――今でも㈱オズマプロデュースはあるのでしょうか。

小林健二 はい。やはり映画だけでは、食べていけないんですね。㈱オズマプロデュースが、映画の製作費を出資することで㈱JungleWalkが成り立っています。

小林克人 健二は、借金を返済し終えた時、「借金返せた、貯金もできた。でも、映画を撮るには信用が絶対に必要。映画はいつでも撮れる。信用を得る為に、まずは会社を建てたい」と僕に言ってきました。僕は彼に大賛成しました。そういった経緯があった上で、㈱オズマプロデュースが出来たんです。その後、04年に㈱Jungle Walkが設立されました。映画を撮ることに対して、逃げ道を作らないようにするためにです。

――そして、『369~』に続くわけですね。日本での反応が良く、アメリカでも公開されたとか。『フローレンス~』が日劇で公開されるなど、いつも規模が大きいですね。

小林健二 公開館はハリウッドのサンセットブルバードにある老舗劇場でした。現地では、チラシを片手に街頭で、「ルックルック、ディスイズマイムービー」と宣伝して回りました。それだけの気持ちがありましたから、毎日配りました。

――反応はいかがでしたか。

小林克人 意外と良かったですね。「ユニバーサルなテーマ」、つまり普遍性のあるテーマだと言われました。アメリカ人も同じ問題を抱えていると。


全編アメリカロケで「フローレンス」を撮りたいという大きな目標と夢


――冒頭でも触れました様に小林兄弟の作品には、テーマの強みが感じられますから、その反応に対して自然と頷けます。『フローレンス~』は日劇を経て、アメリカでも公開されるのでしょうか。

小林健二 やりたいですが、時間的に難しそうですね。 レコードでいうところの、『フローレンスは眠る』がA面だとするならば、B面があるんです。今現在、B面の制作に向けて展開しております。

小林克人 舞台はアメリカで、仮題は『フローレンスの涙』です。A面は、どこかにダイヤ「フローレンスの涙」があって、それを巡るという物語でしたが、B面では冒頭からこのダイヤが出てきます。

――アメリカ本土で撮影されるのですか。

小林健二 そうです、全編アメリカでのロケを予定しております(笑)。

――何をされても、話のスケールが大きく、驚かされるばかりです。根本的な話になりますが、なぜAB面に分けて日米で撮るといった形をとったのでしょうか。

小林克人.jpg小林克人 そもそもは、この「フローレンス」シリーズは、戦争が終わってからの70年間を日米の両サイドから描きたいと考えて企画しました。A面だけだと描きたいことはまだ半分でしかありません。

 二つは全く異なる物語で、たったひとつ二つの話を貫くものがダイヤ「フローレンスの涙」です。どちらから観てもいい、AB面というのはそういう意味です。いわばクリント・イーストウッド監督『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』の様な構成です。

 日本で面白いのは経済だろうということで、A面では同族企業の裏側を映しました。ダイヤ「フローレンスの涙」は70年前の戦争で行方が分からなくなり、先の世代が遺した負の遺産に今どう向き合うのかがテーマとなっています。

 一方、アメリカは絶え間なく戦争を続けてきました。この歩みの違いが、日米の人々に何をもたらしてきたのかを、AB面の製作を通して考えてみたいと思っています。

――B面に関しては、現段階でどこまで話が進んでいますか。

小林健二 現在は、米国脚本家と共同シナリオ開発に乗り出しています。

 当初、この企画を実現させるためには、ネイティブスピーカーで向こうの映画業界に詳しい共作者が必要だと考えました。そこで、13年11月に3週間ほど渡米し、売り込み、プロットに興味を持ってくれた5組の人間に会いました。

 そして、馬場政宣さんとジョシュ・ムカイさんを脚本パートナーとして迎え入れました。2人ともアメリカの映画界で活躍していて、馬場さんは初監督作品『千代のお迎え』が07年アカデミー賞短編賞の最終選考に残るなどの実績を持つ方です。僕と兄と彼ら4人で脚本を書いていきます。

――今後どのような展開をされていきますか。

小林健二 まずはB面の脚本を作ることです。ただ、脚本は作れても製作するのは簡単にはいかないと思っております。ですので、国内の企画も同時に練ってます。

小林克人 ハリウッドのドルビー・シアター。この劇場はアカデミー賞授賞式の開催会場としても有名ですが、柱には歴代の受賞作品のタイトルが彫られているんですね。ここに僕らの作品タイトルが入る、これが夢です。

――ありがとうございました。更なるご活躍を期待しております。



フローレンス_ポスター.jpg『フローレンスは眠る』:http://www.junglewalk.co.jp/florence/

出演:藤本涼、桜井ユキ、前田吟、池内万作、東幹久、宮川一朗太、村上ショージ、岸明日香ほか

製作総指揮:小林健二、プロデューサー:北村圭子、真保利基、脚本・編集:小林克人、小林健二

製作・配給:Jungle Walk

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015年/日本/5.1ch/シネスコ/カラー/デジタル/(C)2016JungleWalk Co.,Ltd.



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