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インタビュー:鳥羽乾二郎 日活㈱取締役映像事業部門副部門長兼100周年実行委員会委員長

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インタビュー:鳥羽乾二郎 日活㈱取締役映像事業部門副部門長兼100周年実行委員会委員長

2012年03月30日
日活100周年は千載一遇のビジネスチャンス

鳥羽氏本文.jpg
 日活は1912年(大正元年)、孫文の後援者として知られる梅屋庄吉の「エム・パテー」をはじめ吉澤商店、横田商会、福宝堂の4社が合併、映画の製作・配給・興行を目的とした「日本活動写真株式会社(日活)」として設立され、今年9月10日で創立100周年を迎える。同社では、現存する最古の映画会社として記念映画の製作や海外での日活映画特集上映、100周年記念の社史の製作など様々な記念事業を展開していく。その概要及び記念映画製作の途中経過等について同社の鳥羽乾二郎(左写真)取締役映像事業部門副部門長兼100周年実行委員会委員長、柴田雄幸版権営業部門副部門長兼100周年実行委員会事務局長、角田豊版権営業部門国内版権Gパッケージ企画チームリーダー兼100周年実行委員会社内活動部会サブリーダー、安村重幸企画製作部門企画G業務チームリーダー兼100周年実行委員会事業推進部会サブリーダーらに聞いた。

──今回の100周年事業はどのような基本方針で実施されるのですか。

鳥羽 100周年を迎えるにあたって日活として何を求めてやっていくかについては三本柱を設定しています。一つにはやはり会社として100周年を迎えるということで、企業的価値を高めていけるような、何か対外的にアピール効果のある活動をしていくこと。もう一つは社内的にも100年続いたこの会社に自分たちが今こうして籍を置いているということも含めて、社内の気運を盛り上げていくような啓蒙活動をしていくこと。そしてもう一つは、創立100周年というのはある意味100年に一度のビジネスチャンスでもありますので、ここまで培ってきたライブラリーであるとか、日活の資産を活かして、事業的にも成功するような形で進めていこうと。この三つが日活100周年事業の柱です。実行委員会もこの三本柱に合わせて、対外活動部会、社内活動部会、事業推進部会の三部会に事務局を加えた組織で成り立っています。

社内に実行委員会設置

──社内に100周年実行委員会はどういう経緯で作られたのですか。

鳥羽 下準備に動き始めたのは一昨年の2010年の春からでして、実際に委員会が立ち上がったのが2010年の9月です。今年2012年9月10日が創立記念日になりますので、100周年の事業期間としては今年の9月を境にして前後1年の2年間ということで、昨年の9月から事業期間に入っているわけですが、来年の8月まで記念事業を行っていこうと考えています。

──何人ぐらいですか

柴田 委員長を含めまして総勢36名です。

──各セクションから選ばれた方なのですか。

柴田 委員の選出にあたっては社内で公募をかけまして、100周年の事業をやるにあたってやりたい者は手を挙げろということで募集をかけました。結果的には想定していた1・5倍くらいの社員が手を挙げたのですが、年齢や男女比などを検討して選出しました。

──実行委員会の中には、例えばOBとかそういう人たちは入っていないのですか。

柴田 社員だけです。もちろんいろいろ進めていくにあたってはOBの皆さんにご協力をいただくということではありますけれども、実行委員会メンバーとしては社員だけで構成しています。

──委員長は鳥羽さんで、部会長というのはいらっしゃるのですか。

鳥羽 います。対外活動部会長は海老原卓生(管理部門総務人事Gグループリーダー)、社内活動部会長は森田光吉(衛星メディア事業部門営業Gグループリーダー)、事業推進部会長は太田明徳(版権営業部門配給宣伝Gグループリーダー)が務めています。事務局長は柴田雄幸(版権営業部門副部門長)です。

──定期的にそういう部会をされるのですか。

鳥羽 各部会は週に1回もしくは二週に1回ぐらいの頻度で定期的に会議を行って、情報と方向性について共有するようにしています。各部会ごとにそれぞれの案件について、例えば社史の編纂については社内活動部会の中に社史ワーキンググループというのが現状3人構成で活動していますし、100周年のロゴを作る時にはロゴのワーキンググループが組成されて定期的というよりは日々打合せをしながら活動しています。それ以外にも各部会のサブリーダー以上が集まってのリーダー会議というのも毎週定例で行っていますし、委員会のメンバー全員での全体ミーティングというのも3ヶ月に1回くらいのペースでやっています。委員会には社内の各部門から選出されているわけですが、その中には撮影所勤務の者もいますし、本郷と調布という物理的な場所の問題もあるので、それぞれが何をやっているという情報共有はしなければいけないなというのと、実行委員以外の社員に現在委員会で何を検討しているとか、どういうアイディアを求めているかなど、100周年の動きというのを全社で共有していくには、それぞれが自分の部署に対してアナウンスしていって欲しい、ある意味では社外も含めて1人1人が日活100周年の宣伝マンというような意識をもってもらえるよう委員会の運営をしています。全員が集まるといってもやはり業務の都合で欠席となる人もいますし、なかなか全員が集まることができるわけではないのですけれどもね。

──それでは、実際の100周年事業活動について伺います。頂いた資料を拝見すると100周年ロゴが目に付きますが、一般から募集したのですか。

鳥羽 手順としてはロゴのデザインに入る前に、まず『新たなるステージへ』というコピーを最初に決めました。100周年というこのタイミングで日活がずっと生業としてきた映画はどういう状況かと言えば、デジタル化やマーケットの伸び悩みなどいろいろな意味で転換期に来ていると思います。そんな中でこの日活という会社が次のステージにどうやって進んで行くかという、ひとつのきっかけの100周年になるかなと思っているのですね。いずれにしても100周年は到達点ではなく、これから次の100年に入っていく過程の中の中継地点であるわけですから、コピーを決めるにあたっては過去を振り返るものよりは未来に対しての言葉にしようと話し合いまして、この『新たなるステージへ』に決定しました。この言葉を含めて100周年というものをどうやってロゴにしていくかについては外部のデザイナーさんといろいろやり取りをしまして、かなり多くの案を出していただいた中から、エンタテインメントの会社でもあり、ある種の親しみがあるような、そして動きがあるようなもので、次のステージへということをなるべく体現できるようなものにしたい、ということで、最終的にこのステージの段を上がろうとしている案がほぼ全会一致で採用されました。また、この色は『天色(あまいろ)』という色なのですが、日本の伝統色です。100周年ということでもありますので歴史を感じさせる色にしようという考えもありますが、この『天色』というのは単なる空の色ということではなく「梅雨明けの空の色」ということで、次のステージに向けて天高く伸びていきたいという想いを込めています。〈つづく〉

※インタビュー全文は「月刊文化通信ジャーナル」2012年3月号に掲載


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