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「北の国から」30年…純と蛍は被災地にいた!

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「北の国から」30年…純と蛍は被災地にいた!

2011年09月07日

 「北の国から」が始まって30年…。いま、純や蛍はどうしているだろうか。それが、なんと分かったのだ。

 蛍の夫、正吉がいわき市で震災による津波で流され、蛍は息子の快を富良野にいる五郎に預け、避難所で看護活動する。埼玉でゴミ処理の仕事をしていた純は正吉の死にショックを受け、被災地に赴きボランティア活動をしている。そして五郎は変わらず自給自足の生活だが、税金を払わないので役所から困り者として見られているという。

 BSフジ8月20日放送の「北の国から」放映30周年記念特別番組「今、五郎の生き方~2011 夏 倉本聰~」で、インタビュアーの問いに脚本家・倉本聰氏が語った。

 見たい!! 俄然、そう思った。生活が一変した被災者たちの現実と、ドラマである五郎の生き方を重ね合わせるのはやや気が引けるが、ゼロから自立しようと戦う姿は通うものがある。五郎の血を引く純と蛍が被災地でどう向き合い、何を感じるか。二人の経験が活かされるような、どこか活躍めいたものが見られるのではないかと想像させる。生きるための知恵や助け合いが、ドラマを見る者をも救わせてくれるだろう。

 特番では、昨春幕を閉じた富良野塾にも焦点を当て、公演が続いている塾のOBらによる舞台「歸國」を取り上げる。「歸國」は戦後甦った英霊たちが見る祖国・日本の変わりようを通して、いまの豊かさを問う物語。昨夏、TBSの終戦ドラマスペシャルとして長渕剛・北野たけしら豪華キャストによりドラマ化もされた。震災の被災地が敗戦後の日本と似通うと話す倉本氏は、「北の国から」とも重ねて、そこから今の日本が失ったものは何かを語ろうとする。暮らしは豊かになったが、失ったものも多い。いま、五郎の生き方が必要とされていると。

 特番の中で、ドラマの名シーンの数々が流れる。子供たちのためにゴミ置き場から拾った自転車を修理した五郎と、持ち主に言われて返そうとする警官が問答する。「あのゴミの山に1ヵ月近くもほったらかしてあったわけで……捨てたんじゃない、置いといたんだと言われても」「君ね、ドロボーと言われても仕方ないんだよ!」。昔、モノを大事にしろと云われた。しかし今、もっと消費しろという。それが復興につながるのだと。そこに倉本氏は矛盾を感じるとも話す。

 「電気がないーッ、電気がなかったら暮らせませんよ!」と純の驚きの名セリフで始まった富良野の生活は、その後、川から水をひき、風車で明りを灯し、丸太や石の家を建てる。すべて自分たちの手で。そのたびに私たち視聴者は彼ら家族と一緒に喜び、感動を共有した。81年10月スタートした連続ドラマ以後、スペシャルドラマ8作品が放送され、彼らの成長を見守るように愛され続けた。

 このフジテレビの名作ドラマは、その裏でTBS山田太一脚本のこれもまた名作である「想い出づくり」と同時期のスタートだった。今にして両巨匠のドラマ対決だったというのは語り草。「北の国から」の視聴率は次第に上がり、「想い出づくり」が先に終了すると、さらに上昇し国民的番組となった。当時まだそう珍しくない2クール(全24話)の放映だった。

 この6月末フジテレビの編成制作局長に就任した荒井昭博氏は、編成方針に5つの目標を掲げた。一つに「世界標準に合わせる」と話した。その中で、海外のニーズに合うよう、海外と同様に話数の多いドラマを制作したい、大河ドラマのようなものも研究したい、実現するとすれば来年秋以降だろうと話す。「北の国から」は2002年遺言で完結した。もうドラマ化は難しいと言われているが、冒頭に記した、今の彼らの暮らしぶりを聞けば、ふと、「北の国から」の続きをと思いたくなる。いや、連続ドラマが無理なら単発でと切に思う。倉本氏自身がそんな思いを胸に秘めているように見えて、つい期待してしまう。

 いま、BSフジで30年前のその記念すべき連続ドラマシリーズ「北の国から」が毎週月曜22時放映中だ。彼らと再会したい想いは募る。

(戎 正治)

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